画像で見る「りとむの風景」

< 昻之先生に会いに松山へ行こう道中記


2019 年 2月


増 田  理 恵


  広島岩国歌会  2019年2月   増 田 理 恵


     
     平成31年2月23日愛媛県松山市で松山市短歌大会が開催された。

 この大会には昻之先生が選者としていらっしゃるので、岩国では話題と

 なっていた。藤本寛さんの大会への出詠や参加の呼びかけに、瀬戸の

 むこうに昻之先生の姿をうっすら感じていたのだが、これがうっすらでな

 くなったのは、広島岩国の1月歌会の日であった。1月11日、寛さんか

 らの最後の誘いがあった。プランが「うっすら」だったので参加を決めか

 ねる会員もあった。岩国会長の原田俊一さんが歌会後、「昻之先生に

 直接ご予定を訊いてみるよ。」と先生に電話をかけた。先生の「皆さんに

 会えるならうれしいなあ。」のお言葉に俄然風車(かざぐるま)が回り出し

 た。大会後の夜と次の日午前中に時間がおありのご様子。岩国は、ぶん

 ぶん回れ風車である。原田さんと寛さんが先生の確認をとりながら、旅程

 をたててゆく。参加者も決まり。会員のひとり一首も集まった。


2月23日当日、参加者は、広島の末森知子さん、岩国の原田俊一さん、

二宮信子さん、幸田堯子さん、浜田美恵子さん、藤本寛さん征子さん

ご夫妻、 岩国蜀紅短歌会の会員で藤本夫妻と一緒に行くことになってい

た蔵中和恵さん、そして増田理恵の9名である。末森さんは広島港から、

他の参加者は柳井港から一路瀬戸の海を渡る。いま旅を終えてふり返る

と、高齢者の旅、杖を使う人もある中で、一番大変だったのはフェリーの

乗り降りあった。狭く急な鉄の階段は負担が大きい。特に三津浜港に着い

た時、強風に吹かれながら取り縋るように降りた場所が違っていると言わ

れ、また階段を上がり別の階段を降りる事になった時は心配した。若い船

員が下で、受けとめますと言わんばかりの格好で気の毒そうな顔をしてい

た。 そんなこんなで会場にたどりつき、大会の開会を待った。昻之先生の

姿は「うっすら」ではなく、もうすぐそこにある。

     


   午後1時開会、文学の町松山での大会に、24歳から100歳までの作者
 による2343首が集まった。

     

     そんなあいさつの後、選者のおふたり、大島史洋・三枝昻之の対談
  「短歌の明日へー日常からの発見」があった。

     

  大島先生は、自分の反応をおさえて目で見たものをそのまま言い結果

 的に自分の心を感じさせるという詠みぶり、対して三枝先生は、自分の

 受け止めをはっきり表現するとの事、同じ歳のふたりの対話が続いてゆ

 く。それにしても昻之先生の声が良い。以前から「うっすら」思っていた

 が、今回ははっきりと、良い。その声が短歌を語る。

  〇短歌は長距離走、そこにその時々のその人が残る。生涯の文学
    である。

  〇些末な事が詩になると人生の機微がそこに表れる。それが短歌と
    しての力になるが、他のジャンヌでは受け止めきれないものだろう。
   短歌だから、日常の気持ちを掬いとることができるものとして成立する
   といえる。

 〇生活は汲めども尽きぬ、短歌は源泉である。

 休憩をはさんで、入賞者の表彰、選者による選評と続く。

    


  この大会は伊予銀行創業140周年記念でもあり、伊予銀行賞が福岡県

 の女性に贈られた。「銀行から副賞があります。」の声に、舞台のソデか

 ら男性が三人、それぞれ二種類のミカンの入った箱をかかえて運んで

 きた。とても持ち帰ることのできる量ではない。後で宅配することになっ

 ていたが、いまでもあのミカンの鮮やかさでとりどりの色とすごい数は、

 目の奥に離れない。

 会員の入選作 三首

 茜空二羽の川鵜は寄り添いて八分音符にリズムとりおり    幸田堯子

 掃き終えて振り向けばはや落葉する花水木二本ばっさり剪定 二宮信子

 蒼穹を映す川面にきらきらとさざ波揺るる白鷺が飛ぶ
                                                                                  浜田美恵子

   大会終了後、タクシーが手配できず、若い地元の人の「すぐそこです

 よ。」にしかたなくホテルまで歩くことになった、公園を横切ったとはいえ、

 後でみると市電の三つ分を歩いた。先生と同じホテルで、夜そこで食事会

 を開くことにしてあるので、それを楽しみにそれぞれの部屋で体を足を休

 めた。

 食事会は午後6時。海を渡った9人の待つ卓に昻之先生がいらした。

    


 すぐに先生のお言葉は、9人もの人が海を渡って会いに来てくれたことが

 ほんとうにうれしいというものだった。それは今までのお久しぶりという感

 じではなっかった。しみじみとお喜びの様子が伝わってくる。近況報告を

 先生に促されてそれぞれが、米寿だの喜寿だのとと言い、病気を克服で

 きた報告をするのだから、感慨も深まる。伊予のお酒もすすみ、先生の

 お話も楽しい。宮中歌会始について、天皇陛下が御代の最後の歌会始

 の御製に、被災地のヒマワリを詠まれたことへの先生のお心寄せを伺い

 ながら、両陛下と先生と短歌の存在する空間を想像し「平成最後の」と

 いう言葉の気楽さを越えて、現実的な気高い空気の中での深く重い心情

 のあることを感じた。先生はご多忙でありながら取り組みにテーマもおあ

 りとか頼もしく、広島岩国の歌会についても、毎月22首が出詠され歌評

 し合う素晴らしさを説かれ、短歌のつなぐご縁をありがたくうれしく思った。

 楽しく笑い、感涙にむせぶ会員もあり明日の歌会への緊張感もちらちら

 しながら更けてゆく夜であった。
 
   翌24日は朝9時半にホテルロビーに集合。

    

 先生を含め全員朝食で顔を合わせている。タクシーに乗り合わせ、松山

 市民会館の一室で参加者10名の歌会を開く。会館の入口をあちこち迷

 いながらも畳の間に辿り着き、卓を用意する。出詠12首、昻之先生の

  歌評は参加できなかった会員への貴重なおみやげになる。

    

 歌会が有意義で、皆は活気を取り戻したようだった。短歌の力は芸術

 性だけでなく、この日常的な心にも作用すると感じた。後で会員の一人

 から、先生が今回の交流で元気が湧いたとおっしゃっていたとの話を聞

 いた。海を越えて来た甲斐があったとつくづく思う。
 
  歌会後、昻之先生は空港へ、末森さんは広島への帰路にということで、

 岩国まで8名の旅団となる。昼食は人気のうどん屋さん。私の注文した

 うどんは、てのひらサイズの名物ジャコ天がおいしい一杯だった。

 そこから商店街を歩いて「坂の上の雲ミュージアム」に行ったが、展示

 入替のため部分会館となっていた。パネル展示が主だったが、むしろ

 売店でゆっくりおみやげを買うことができた。松山での目的を果たした

 後の時間はのんびりと過ぎるのを感じた。

 予定通りのフェリーに乗り、柳井港までだんだん気持ちが落ち着いてゆ

 く。あんなに歩いて、皆さんの体に無理のかかった二日間だったが、こう

 して全員帰路にある。無事に柳井港に着いた時は「帰ってきたね」の感慨

 である。山陽線柳井駅は、ここも階段がすさまじく、最後の難所が立ち

 はだかった。新しくなった岩国駅のエレベーターの有り難さや一入であ

 る。

 ひとまず楽しい旅だった。あれもこれもと笑い話がたくさんあった、それ

 はほとんどが失敗談にもなる。ドタバタ道中も長い付き合いあればこそ。

 短歌のおかげの旅であった。

 松山での「歌会紹介」は、来月にします。









【 トップページへ 】     【バックナンバーへ】
inserted by FC2 system