このたび三枝昻之『遅速あり』が第54回迢空賞を受賞された。
受賞にあたり、このコーナーであらためて本歌集の紹介と本歌集にか
かるぼくのつたない雑感を述べたい。
樹の声を聴く 若き日の遠景にわれを目守(まも)りし樫の樹の声
草木(そうもく)に人の暮らしに遅速ありて春の光の彼岸近づく
散る梅を流れる雪と見るこころ万葉集五の大友旅人
個人的な好みで三首を掲出した。一首目は、まず、「樹の声を聴く」
が意表を突く。また、「樫」は重要な昂之ワードであることを確認したい
「冬の樫 あれは砦にあらざれば窓に炎の髪うつしいる」のような歌が
すぐに思い出される。作者は若き日を回想しつつ樫と会話している。
二首目は、現在の作者の暮らしを見つめつつ変わらない季節の巡
りを述べている。三句目に歌集名となった「遅速あり」が現れるが、こ
のことばに古希を向かえた作者の泰然とした姿が読み取れる。
三首目は、大友旅人の「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪
の流れ来るかも」に感銘を受けた作者が、そのうたのゆかしさについ
て述べたものである。ただ注目すべき点は、この旅人のうたが「令和」
の典拠に大きくかかわっていることだ。
「令和」の典拠は「万葉集」巻五の梅花の歌三十二首の序文である
けれど、この三十二首のなかにこの旅人のうたが含まれる。本歌集
は2019年4月20日の発行で、世の中が「令和」の話題でかまびすしい
ときに(新元号の発表は同月1日)、ちょうどこの「散る梅を」のうたに
出会った。これを先見の明といっていいのかどうか分からないが、歌
集を読みながら声を上げるくらいびっくりしたのは初めての経験である。
本歌集の「あとがき」にも触れられているが、「遅速あり」という歌集
名には飯田龍太句集『遅速』を意識したところもあるようだ。『遅速』
は1991(平成3)年12月に刊行された氏の第十句集であり、2007(平
成19)年に亡くなった氏の最後の句集である。『遅速』からは、次の
ような句を紹介しておきたい。
木には木の水には水の暮春かな
なにはともあれ山に雨山は春
句のことばに難しいところはなく、句の内容も直感的に分かる気がす
るのに、いざ自分のことばで通釈を行おうとすると急に手強くなる。
それが氏の句だ。
ところで、ぼくの手元にある『飯田龍太自選自解句集』のなかの「作
品の周辺」に、氏のこのような記述がある。
「(上記の自解句集について)作品の方はふるくから馴染んだ旧仮
名遣いのままにした。将来もおそらく旧仮名遣いを続けるだろうが、こ
れは理屈でなく私の我儘(わがまま)だと思っている。表現語法の点で
も、あるいは文字の眺めからいっても、私には旧仮名遣いの方が自
分の俳句のように思えるだけのこと。むろん新仮名遣いを学んだ人達
はそれが身についた自分の文字であるからそれに従ったらいいだろう。
このことは単に語法のみではない。季物の問題にしても同じことで、
それぞれ時代時代の変貌があってしかるべきものだ。仮にそのような
ことで俳句が滅びるのなら、それはそれで致し方のないことだと思う。」
ここには、氏の文芸に対するこだわりと柔軟さと俳句に対する考え
方や矜持が見え隠れする。
三枝さんは飯田龍太氏を龍太師と呼ぶ。師の句集に共鳴した本
歌集で迢空賞を受賞され、三枝さんの喜びもひとしおではないかと
想像する。
三枝さんの迢空賞を心からお祝い申し上げます。
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