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会 員 の 広 場
<9> 湖 畔 に 住 ん で (中 編)
2018年5月小 潟 水 脈
湖 畔 に 住 ん で (中 編)
なかなか短歌にならなかった景―インターミッションとして
前編について「琵琶湖の魅力がよく伝わって来る」と、うれしいご感想を頂きました。写真も好評のようでしたので、まず、折々に撮っていた湖と空
の写真からもう少し
勤め先はJRびわこ線で瀬田川を渡った所にありますが、JRの駅まで出て一駅だけ乗るより、直線距離で近江大橋を渡る方が速いこともあっ
て、春と秋の時候の良い頃には、自転車で橋を渡って通勤する日もあり
ます。9月中旬から10月初め頃には、橋の上を自転車で走るうちに、
夕焼けがだんだんに消え、空も湖面も次第に藍が濃くなって紺碧に暮れ
きり、いつの間にか岸の建物の明かりがはっきりと見えているという、景
色の変化をパノラマのように見ることができます。
ある時、夕焼け空に星が出ているのに気づきました。かすかな光のその星は、自転車で橋の上を進むうちに、夕焼けの色に溶けて見えなく
なることもあれば、またかすかに見えはじめ、また夕焼けに紛れ・・・。
そしてやがて、いくつかの星が、そのように見えたり見えなくなったりし
ているのに気づきました。
◎星ひとつ夕焼けにとけては現れる湖(みづうみ)の橋を自転車でゆく
◎星いくつ夕焼けに消えては現はるる湖(うみ)の橋ゆく 願ひ事なく
その情景は、改作を重ねてもなかなか表現できませんでした。
「一番星に願いを、などと言われるけれど、一番に出たのがどの星かなんて特定できないものですね」と言うと「最初に見たのがその人にとって
一番星なのでしょう」と言った人がありましたが、星がかすかに見えた、
また見えなくなった、と目に追っていると、願い事を思い浮かべるどころ
ではありませんでした。
今夜が満月という日の夕方、月が昇るところを見たいと、近江大橋の上で待ち構えたことがありました。どのあたりから月が出るのかと、対岸
の空を見るうちに、笠の上部のような形で夕焼けの雲のような色のもの
が見え、あれあれ、夕焼け雲が東の空にあるのか、と見るうちにだんだ
んせりあがって来て、やがてそれが月だとわかりました。月の姿が次第
に現れたことによって、そこに目には見えない山の稜線があるのだと初
めて知りましたが、その時の景もまた、なかなか表現できませんでした。
(翌日の昼に橋の上から見ても、遠くのそのあたりは空のように見え、そこに山があるとは全くわかりませんでした)
◎その位置に見ぬ稜線のあるを知る満月ゆつくり昇りきりしに
という一首を京都の歌会に出したところ「月の光で山の稜線が照らし出されたのか」「月の光でそんなことなどあるもんか」などの発言が相次ぎ、聞
いているうちに「稜線は徹頭徹尾、見えてないんですよ。『見ぬ稜線』と言
ってるでしょ!」と叫び出したくなってしまいましたが、歌がまずいので、し
かたがありませんでした。
かすかに上部が見えてから、満月がその姿を現しきるまでの景は、いくつか歌に作ってそれぞれ何度も改作し、その中には「りとむ」の歌会で
今野先生に「意欲作だとは思いますが・・・」と言われたものもありました。
◎あんな所に弧の茜雲と見てゐしがせり上がり来て満月となる
最終的に歌集『扉と鏡』に入れたのはこの一首ですが、今なお、満足できるものではありません。
近江大橋の上(画面左奥あたりには遠くて見えない山がある)
近江大橋近くから対岸を見る
京都の山科との境にある山も家から西の方角に近く見え、月の入りを見ることもあります。月の尖った先あたりから稜線の向こうに隠れはじめ、
最後には、上の先近くが、そこにライトがともっているようにしばらく山の
上に見えて、やがて消えるように先まで沈みきるのですが、その様子も
なかなかうまく言い表すことができませんでした。
◎小さきライトを稜線に置き消すやうに月は先まで沈みきりたり
最終、歌集に入れる時点でこのように仕上げていますが、これも満足できるものではありません。
西の山(近くの小学校校庭より)
さて、後編は瀬田川が下流で渓流となるあたりの河原と岩の景色について書こうと思っています。
(予告編)