りとむ短歌会


 
会 員 の 広 場

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「さぬきの国から(4)」
 


2024年03月


氏 家  長 子
 


                  さぬきの国から(4)

     ~ 善通寺(ぜんつうじ) 与謝野晶子・寛の歌碑 ~

                   氏家長子

      (1)はじめに

      与謝野晶子は全国各地をまわり数多くの歌を詠み、それを

       贈りものとして残しました。昭和6年(1931年)

        10月31日、ここ香川県善通寺市にも寛とともに訪れまし

        た。当時の交通事情を考えるとかなりの長旅、よく来て

       くださったと感慨深いものがあります。その時のお二人の

        贈りものを土地の人びとは石に刻み、故郷のシンボルと

        して大切に守っています。今回は善通寺市にある晶子と

       寛の歌碑を紹介したいと思います。

       (2)善通寺市とお遍路さん

       香川県善通寺市は弘法大師空海の御誕生の地です。

       四国霊場第75番札所、総本山善通寺があり、お寺の

       名前が市の名前、弘法大師のお父様佐伯善通(よしみち)

       に由来するそうです。昨年、弘法大師生誕1250年を

       迎え、さまざまなイベントが開催されました。

      市内には、四国霊場第72番から76番札所までの5つ

       のお寺が近距離にあり、お遍路さんの御朱印帳もここ

       で一気に進みます。一年を通して多くのお遍路さんや

        観光客が訪れていますが、特に春は四国霊場

       八十八カ所巡りには絶好の季節。菜の花畑や桜に

       囲まれ、同行二人と書かれた菅笠、白装束、鈴の音、

       美しき四国を見ることが出来ます。
 
      (善通寺五重塔)

 




        (3)出釈迦寺と歌碑


  第73番札所は我拝師山(がはいしさん)出釈迦寺




      






         (しゅっしゃかじ)。出釈迦寺から山道を1.8㎞ほど登ると

        奥の院、さらに登ると弘法大師が7歳の時に身を投げ

        たという捨身ヶ嶽(しゃしんがだけ)があります。

        身を投げた幼少の弘法大師は天女を連れた釈迦如来

        に抱きとめられて崖の上に返されたという伝説が残って

        います。






       この出釈迦寺に与謝野晶子・寛歌碑庭園があります。

       昭和6年秋、晶子と寛は当時の善通寺高等女学校

       で講演を行いました。その女学校の教諭が所蔵して

       いた晶子自筆の色紙が平成18年に発見され、

       この歌碑庭園が作られたそうです。歌にはこのあたり

      の歴史や伝説が詠み込まれています。



     左側の小さめのおむすび型が晶子、右側が鉄幹の

      歌碑です。
 
 
        讃岐路は浄土めきたり秋の日の五岳の


        おくにおつることさへ  晶子

    *五岳は我拝師山を含むこのあたりの5つの山のこと
  
     たもとぶり西上人も見しならん飯野(いいの)
                                  の山のわが道に立つ  寛
  
     また、この庭園の手前には、西行と中城ふみ子の歌碑

     もあります。
  
  筆の山にかき登りても見つるかな苔の下なる岩の気色を

                              西行(大西きくゑ書)
 




     出奔せし夫が住みゐるてふ四国目とづれば不思議に

     美しき島よ 中城ふみ子

    出釈迦寺のすぐ近くには西行庵が残っています。

     この地で西行も歌を詠みました。四国を美しき島と

     詠んだ中城ふみ子は、夫の転勤で一時期高松市に住ん

    でいました。
 
    (4)おわりに

   与謝野晶子の当時の活躍を考えると、この地を訪れた

    ときの地元の人びとの熱狂ぶりが想像できます。

    地方の小さな町にも短歌ブームが巻き起こったに違い

    ありません。

    善通寺市には昭和22年発足の「善通寺歌話会」という

   短歌会があります。多いときは50人以上の会員がいた

    そうですが、今は20人くらい。りとむの香川県メンバー

    4人はこの会で出  会い、現在も市民会館に月に一度集

    まって研鑽を積んでいます。歌話会の大先輩には

   善通寺高等女学校で晶子と寛の講演を聴いた生徒

   さんがいたかもしれません。与謝野晶子の偉業の一つは

   全国各地で短歌の種を播いてくれたこと、そしてそれは

    1200年前の弘法大師の活躍とも重なるような気がしてなりません。
 

      寛の歌に詠まれている飯野山(讃岐富士)  


     
  
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