会 員 の 広 場

<13> 東京の片隅に暮らす(後篇)

2018年9月


高 橋  千 恵


   帰らなければ何年だって帰らなくても平気な顔しているのに。

今日は群馬に帰るんだって決めたら1秒でも早く帰りたくて。


今にも泣き出しそうな顔をしながら、アクセルを踏んで帰ることがある。

   
  別に東京の片隅に暮らすのがイヤんなったわけじゃないし。

人にいじわるされただとか、そういうのもないんだけれど。

とくかく今は帰りたい。の一心で帰るとそそくさと実家の裏山へと続く道を

登ってゆき、棚田の1番高い所に座り込む。そして、

じーっとふるさとの風景を見て泣きたくなったら気がすむまで泣く。

それからケロッとした顔をして家に帰るのだった。


   上京したばかりの頃は月に1度は実家に帰っていたのだが、それが

3か月に1度…。ここ数年は半年に1度の時もある。

という感じで年々、帰省をする回数が減ってきたので

会うたびに親が小さく見えたりもする。そうすると

(実家に戻ってこようかな?戻った方が良いのかな?)

と心が小さく揺れてくる。

そんな小さな揺れを抱えながら束の間のふるさと時間を過ごし、

また東京へ戻る朝になると母が私の好きなホッケを焼いてくれる。

「ご飯…おかわり」

そう言ってお茶碗を差し出すと母はみっちりご飯をよそってくれる。

時々、おかわりを2回も言うと父は口をあんぐりさせて私を見た後、

母を見るのだが母は何も言わずにまたみっちり、ご飯をよそってくれる。


   ご飯をたらふく食べて荷造りをしていると春ならタラの芽、わらび。

夏は枝豆に茄子に胡瓜にトマト。秋は林檎に新米。冬は白菜に大根

に葱…。

という感じで母はその時々の季節のお土産を玄関先に持って行き、

「じゃあ、身体に気をつけて真面目にお勤めするようにね 」と言う。

母は9年前、私が東京に来た時の引っ越しの手伝いを終えた後と同じ事

を変わらずに言い、私を送り出す。

  こうして送り出された私は車を東京へと走らせながら石川啄木の歌を

つぶやく。

この一首をぶつぶつ何度がつぶやくと

(天気が良いし、帰ったら洗濯でもするか。そんでえーっと、それから…)

いつもの日常が私の心の小さな揺れを弾き飛ばしてあれこれと指示を

出してくるのである。

※ ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/

                      ふるさとの山はありがたきかな

(『一握の砂』石川啄木)


  



  




                                                            

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