会 員 の 広 場

<48>
 コーケン北斗の会

2022年12月


中 山  春 美

 
         コーケン北斗の会               中山春美

    俳句を始めて十年経った。といっても母校のサークル仲間

  とのいわば同好会である。宗匠も置かず、俳句好きな面々が

  集まっての句会は自由参加でかなり緩い。

  昭和47年、少女雑誌「マーガレット」に池田理代子作

  「ベルサイユのばら」の連載が始まり、情報誌「ぴあ」が創刊

  された年だ。春の大学構内は新入生勧誘でごった返してい

  た。 「二年生でも大丈夫です!」と広告研究会の勧誘を受け

  たのだが、級友は断り、断りきれなかった私が入会。彼女が

   断った理由は広告研究会と言うやや軟派なイメージのせ

   いだった。

      ユーミンの「Hello,my  friend」という楽曲のなかに、

  今年 もたたみだしたストア―台風がゆく頃は涼しくなる

  という印象的なフレーズがある。夏の終わりの葉山、賑やか

  だった海の家(キャンプストアー)も次々と店じまいして色

  の無い風景になってゆく。感傷的なメロディーも忘れがたい。

    そのように、広告研究会=キャンプストアーをマネージす

 るイメージが強く、自分もモヤモヤしていたのだが、入会し

 て説明を受け認識を改めることになる。キャンストは昭和

 41年に廃止、広告学研究一本へ舵を切った硬派なクラブ

 であり、その年に創立60周年を迎えるという(今年は

  110周年)。また、部長は日本で初めて広告学のゼミナー

  ルを持った小林太三郎教授で、部員は一丸となり「学生

  広告論 文電通賞・大学生グループ部門」連続入賞を目指

   して日々論文執筆に励む、学究的真摯な日々を送ること

   が要求されることを知ったのだが、ああ場違いな私。

   いや増す不安感。

    正門近くの観音寺の座敷で15名ほどが車座になりレジュ

  メを広げ、夕方から広研分科会が開かれるのだが、とある

   日の開始早々。

  私「すみません、今日は早退しても良いでしょうか?」がた

  いの良い先輩A「何故?」私「来る途中、転んで足首を捻挫

  してしまいました…」

  A「なんだ、それぐらい大丈夫だよ!歩いてここまで来たん

  でしょう?平気平気!」

  腫れてきたしどうしよう…と心細い思いでいたら、

  先輩B「A君とは体の作りが違うんだよ!」と助け舟。

   シーンとしていた部員たちもこれには大爆笑。「今すぐ帰

   ってください」の声に送られ無事帰宅出来たのだが、差入

   れの笹団子や八ツ橋に心を残しながらの退場ではあった。

     後年、そのB先輩は私のりとむ入会を祝って、塚本邦雄の

   歌論集をプレゼントしてくれた。批評家としての塚本の

   大ファンだという。文庫本の『定家百首』には、塚本の

   署名と「歌のかゞやきを」と軽快な筆致で記されていて

  今も大切な一冊である。

     さて三人目の先輩をご紹介しよう。ペンネーム 上(うえ)

   季一郎。なるほど、領収書を貰う時に至って便利な姓であ

   る。温顔に会津訛りがほんのり薫るチャーミングな先輩だ。

   文筆家・コピーライター。小学館コミック「幇間探偵しゃ

   ろく」の原作者。東京俳句倶楽部に属する俳人でもあ

   った。

   ちなみにこのコミックは俳句仕立ての趣向を凝らし、

   タイトルは季語、巻末に一句置くという俳句愛溢れる

   三部作である。

  


     11年前の広研ОB会で、上先輩から「君たち、ただ集ま

  って飲み会をしてるなら句会をしたら?ずっと楽しくなるよ」

   とお声がけがあった。それがきっかけでこの三人の先輩を

   中心に広研出身者による俳句の会が発足。

   2011年7月7日、7人で始めたのでA先輩が「北斗の会」

   と名付けた。先ずは青山の割烹料理店、渋谷、そしてまさ

   つらさんの紹介で銀座の某バーへ。マスターの好意で、

   美酒付き貸切句会が以後定期的に開催されるようになった。

   また有難いことに他大学の広研OB、出版社編集人等外部

   からの参加も増え、新鮮な刺激を与えてくれている。現在は

   総勢20名ほどになろうか。ワイワイと集まって兼題、席題

   の句を壁に書き出し選句する。天地人客と言う採点法も

   その時に知った。天の句を短冊に書いて、いざ名乗りを

   あげた作者に手渡すシーンは俳句ならではの醍醐味だ。

   批評タイムは時に手厳しく、時に爆笑を誘い盛り上がる。

   引き続き反省会は近くの中華料理店へ。飲めば必ず私の

   拙い短歌をイジって肴にしてくれる後輩もいて、

   そう、「楽しくなければコーケンじゃない」というあの頃の

  スローガンが甦ってくる。

   もちろん吟行にも行く。飛鳥山。神田川界隈。柴又。熱海。

  しかし、コロナ。対面句会もかなわず、ネット句会へと鞍替

  えをする。後輩幹事たちが見つけてくれた「夏雲」という画期

   的なシステムがあるのだ。ログインした参加者が投句→

   無記名投句一覧表を自動作成→各々が選句→締切日時

   に一瞬で自動集計、各人の得点数、順位を発表するという

   素晴らしさ。今回もこの記録を辿りながら書いている。

     以下、会員の作品を紹介したい。

   まず女性陣から。

     森眠り天空廻る星月夜 湘女

     聖夜劇母に手を振る天使かな  双月

     新涼や父祖の田に降る星数多 富雪

     短夜の明けゆく空の青さかな 空音

     友鏡きりり祭りの髪を巻く 波瑠女

   男性陣。

      夏草や廃車の窓のドラえもん 才蔵

      蟻行きて廊下の先の暑さかな 頓服

      広がりてふくれて流る春の水 フクチャン

      小春日の空に人飛ぶ大道芸 梨博

      事務所めし書類の谷間におでん居る 佐助

      似合うからあなたにあげるこのダリア 寂楽

      峠越し彼方の空に虹の帯 老爺

      草団子君と摘みたしよもぎ草 鵜仙(彼は啄木と同じ盛岡
      中学…現盛岡第一高校…の出身で、啄木研究家の遊
      佐昭吾先生に古文を学ぶ)

    遠花火琵琶湖は鵺の水鏡 冷泉

    竹の皮脱ぐや不機嫌色の空 雉男

    紫陽花や月紅輪となりにけり まさつら

    廃線路落ち葉が隠す夢の跡 武蔵坊

    秋富士や五湖それぞれの水鏡 ムンド

    達郎がまた呼び戻すあの聖夜 森丸

    大根煮地酒並べて日本地図 由良之助

    恋人の忘れ手袋寒き春  薩州

       最後に上 季一郎先輩の句を三句ほど。

    鰯雲海なき街にひとり居る 魴鮄

    秋桜旧友転居せりと言う

    蛍火のような未練の恋をして

      上先輩は惜しくも62歳の若さで世を去ったが、数年後

   に我が同期の佐助さんも病を得て旅立ってしまった。

   バーのカウンターで淡々と選句していた背中が目に浮かぶ。

      この大所帯の会の幹事を献身的に務めてくれるのは、

   広告研究会唯一のカップル、雉男・湘女夫妻と、双月さん。

   この三人には心から感謝している。

     決して熱心な広研会員ではなかった私が今は北斗の会

   で慣れない俳句を詠む不思議。それはもちろん愉快な仲間

   に会うためであると同時に、豊かな季語を学んで短歌に生

   かしたいと思ったためである。そして、俳句から短歌にも

   関心を持ってくれる人が現れたらとても嬉しい。ぜひ気軽

   に越境してほしい。

     さて集まり散じてまた集まるのがコーケン流儀。コーケン

   はいつでも多感な時代に戻れるタイムマシンのようなもの。

   北斗の会は、そんなコーケンを愛した上先輩から我々へ

   の置土産だったことに今になって気付く。若き日、広研に

   育てられながら何も恩返しできなかった私だが、せめて

   句会に参加することで志に報いたいと思っている。

          

【 トップページへ     【 バックナンバーへ 】

inserted by FC2 system