会 員 の 広 場

<43>「 古 建 築 鑑 定 団 出 動!」
  
2022年8月


東 野  登 美 子

  

      古建築鑑定団出動!!

  数年前まで、休日のたびに一家で社寺を訪ねていました。

  神社仏閣を訪ねるときは、「古建築鑑定団出動!」と呟いて

 気合を入れて・・・、というよりこっそりため息。それは、我が

 家の参詣が少し変わっているからです。 特定の宗教に帰依

 しているわけではありませんが、見えぬもの見えぬ力を畏れ

 敬う気持ちはあります。いただいた御札などをゆめゆめおろ

 そかには致しません。決して、神社仏閣を嫌っているわけで

 はないのです。

 ただ、ちょっと・・・。

  必需品は、まずメジャー。そして懐中電灯、野帳、筆記用具、

 カメラ、脚立、地図、磁石、そして必要に応じて拓本がとれるよう

 に準備します。肌を露出しない服装で行くことも忘れてはなりませ

 ん。社寺の木陰で餓えた蚊の総攻撃にあったり、とんでもない叢

 を歩かされてかぶれたりということもあるからです。(内助?いえ、

 違います。ここでお手伝いをしておけば、大手を振って歌会にい

 ける!という下心あり。ですから共助??)

  或る日のこと。人家のまばらな山麓で、村の鎮守らしきの神様

 のお社が、忘れられ朽ちかけているごとく御座すではありません

 か。 「おー!」と勇んで駆け寄る夫。後を追いかければ、突然鳴

 り響く警報器。その音に驚き走って集まる数多の村人。

 なんと、赤外線センサーに触れてしまったのです。家族みんなで

 平謝りしたからか、みなさん笑って許してくださいましたが、

 こんなことが一度ならず二度三度。村の人たちが帰っていかれ

 たあとで、夫は言いました。「家族で来てよかった。怪しまれず

 にすむからな・・・」 ん?そうでしょうか? メジャーを持って

 脚立を抱えた、けっこう怪しい家族です。

 駐車場がないときは、ハザードランプを点けたまま「しばらく車の

 中で待って!」とのこと。「しばらく」が2時間を超えることも

 ママあるなか、その帰路「わたしの時間を返して」と言えば、

 「歌、詠めたでしょ」(えっ・・・)という具合。


   さて、近頃は、夫の足腰が弱ったことにコロナ禍が重なって、

 遠くの社寺を訪ねることはなくなりましたので、今回はご縁のある

 近隣の神社をご紹介したいと思います。

 

 

 ここは、吹田市山田東にある伊射奈岐(イザナギ)神社です。
                        (上は拝殿)

 吹田市には伊射奈岐神社が二社ありますが、こちらは山田

 (江戸時代は山田小川村)という地にあるので、山田伊射奈

 岐神社と呼ばれています。吹田市の文化財保存に関わる仕事

 として依頼されたので、鑑定団団長である夫は、堂々と?調査

 することができたそうです。市役所の方たちが一緒ということも

 あり、私はありがたくお役御免でした。

 

 (本殿・・・拝殿の奥にあります。鑑定団団長がかつて撮影した

 もの。許可なしで立ち入ることはできません。)

 メジャーと脚立とカメラを携え、そして打診棒?でトトントントン

 ・・・したのかどうか、柱を触ったり、床下に潜ったり・・・、

 そして、このような文章になりました。

 (正直なところ、これらの校正を申しつけられると、いつも途中で舟

 をこぎます。)

********************************

 当社は、式内社に列するとみられる五間社流造の貴重な江戸中期

 の遺構である。石垣を築いて基壇を高くし、屋根を銅版葺に改め、

 棟の位置を高めるなど、修理改造がみられるが、全体として当初材

 をよく残している。(中略) 総欅造りで、枝割によって計画された、

 中央間を広く、脇に向けて等差級数的に逓減してゆく柱間寸法に

 よる社殿の卓抜な安定感と中心性など、水準の高い建物である。

 (後略)

********************************

 というわけで、由緒があるばかりではなく、建物も古い形式がよく

 残されており保存して後世に伝えるべき神社建築、というわけです。

 また、建物細部の意匠である蟇股(かえるまた)・木鼻・実肘木など

 にもぜひご注目ください。

 
  ※蟇股(かえるまた)拓本

  
  ※身舎頭貫木鼻と実肘木 拓本

 
  ※向拝虹梁絵様 拓本

 この細部の形や模様、彫の深さなどが年代判定のカギになること

 も多いようです。

 ときに、わたしの興味は建築ではないところに向かいます。

 ☆参道の階段下の狛犬

    

 2022.7.21撮影   2021年12月12日撮影  022.7.21撮影

 ※コロナ禍やっと下火かと思われたのも束の間でしたが、

  7月21日はマスクのない姿でした。拝殿に向かって右の狛犬

  には顎鬚あり!

 狛犬ではありますが、妖怪のような個性的な容貌です。左右一対

 明治36年(1903年)3月に寄進されました。基壇に刻まれていたは

 ずの文字が、12月12日に参拝した折は読み取れませんでしたが、

 吹田市の文化財調査事業報告書第Ⅱ集によると、金州城(遼東

 半島南端部)の門上物見櫓に葺かれた屋根瓦の獣像を模して

 製造された、とのことです。いったいどのような願いを込めて寄進

 されたものだったのでしょうか。

  ちなみに、金州城南近郊で日露両軍の激戦があったのはこの

 翌年(1904年)で、乃木希典の長男勝典が戦死。同年6月6日にこの

 地を訪れた希典が、金州城下作を詠んだことで知られています。

 山川草木轉荒涼 十里風腥新戰場 

 征馬不前人不語 金州城外立斜陽

  さて、吹田市による建築調査後のことですが、

 平成23年(2011年)、山田伊射奈岐社本殿は、大阪府指定文化財

 として保存されることとなりました。

  保存よりも建て替えのほうが経費を抑えられるということで、調査

 保存に消極的な社寺もあります。が、せめて図面だけでも残したい

 ということで調査させていただいたところもあります。そうして

 約半世紀に渡って記録してきたものを最近ようやく書籍として

 纏めることができました。 わたし自身はその半世紀の後半部分

 に、拙い助手?として関わっただけですが、掲載した社寺には、

 家族全員で訪れたところが多いので、家族のアルバムを開くような

 思いでながめています。

                      東野登美子 


 
【 トップページへ     【 バックナンバーへ 】

inserted by FC2 system