会 員 の 広 場

<30>「 水の街に住む 」 

2021年2月


寺 尾  恵 仁

 
                                                                    
    「 水 の 街 に 住 む 」      寺尾  恵仁
  
   ドイツから帰国後、元住吉に居を定めて一年半が過ぎた。

  住んでみて思うのは、水に縁が深い土地ということである。

  住所は川崎市高津区明津、いかにも水気の多そうな土地である。

    多摩川まで平地が続くが、古代には海辺だったことが貝塚の存在

    から分かる。ちなみに貝塚のある「子母口」(しぼくち)という

    地名は、もともと潮口だったのではないかと勝手に類推している

    (本当は違 うようだけど)


    そういうつもりで道を歩くと、色々なことが目につき始める。

    古い家の表札は大体岸さんか長瀬さんか川邊さんだし、蟹ヶ谷

    とか鯛ヶ崎なんて地名を見ると、もう海辺を歩いている気分に

    なる。


    原始時代の海辺の集落の辺りには、古代には郡衙が置かれ、

    豪族の小さな古墳も数多く作られた。平安期に創設という東日本

    でも有数の古刹もある。かえって近世をあまり感じないのは、

    近代の発展があまりにも急激だったからだろうか。多摩川の

    氾濫がここまで及ぶこともあったかもしれない。


    この辺りは横浜と堺を接しており、坂を登ると横浜市である。

    坂の下は古い集合住宅が密集し、坂の上は洒落た住宅地と

    いうのが、横浜と川崎の経済格差を感じさせるのだが、

    それはさておき。


     高台はリアス式海岸のように入り組んでいて、谷が深く切り込ん

     でいるところが多い。その突き当たりまで歩いていくと、古い

     祠があって町名は古滝や清水だったりする。そこから急な階段

     を登ると、高台の上に出る。一気に視界が開けて、遥か遠くに

     品川あたりのビル群が見える。反対側も平地が続き、場所に

     よっては富士山が見える。


    川崎と言えば全国でも有数の人口密集地であるわけだが、

    こうして歩いてみると、時空を超えて古代の浜辺や中世の農村が

    見えてくる。

                       神庭緑地より品川方面を望む

 

          

                         こうした急坂がとても多い
  


                                富 士 山

  

                                        



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