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<27>小石川から神楽坂へ

~江戸切絵図からたどる

  啄木の俥の轍~(前編)

2020年9月


中 山  春 美

   
   「小石川から神楽坂へ」〜江戸切絵図からたどる
                              啄木の俥の轍〜」  (前編)

                   中 山  春 美

    東京の文京区に住んではや五年、そのわが住まいの近く、小石川五

   丁目の住宅街の入り組んだ一角に石川啄木終焉の地がある。そこには

   明治45年4月13日に満26歳の若さで世を去った啄木を偲んで、

   コンパクトな顕彰室とモダンな歌碑が設置されていて目を引く。

   歌碑の陶板には

   『悲しき玩具』冒頭二首の直筆原稿が推敲のあともそのまま写されて

   いる。

       呼吸すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音!

        眼閉づれば心にうかぶ何もなし。さびしくもまた眼をあけるかな

  
                               終焉の地の遠景

    
                                             ⇑ 終焉の地の近景

   
                                                                 終焉の地 歌碑


   この二首は神楽坂の相馬屋製の原稿用紙に書かれていて、欄外の

  瓢型は相馬屋の印だ。啄木の日記では「明治45年1月30日夕飯が

  済んでから 私は非常な冒険を犯すやうな心で、俥にのって神楽坂の

  相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた」とある。死の2ヵ月半前である。

  病も重く金も米も尽きて意気消沈しているところへ、前日、朝日新聞

  社有志からお見舞い金等四十円近くを受け取り、気分も高揚したと

  察する。

     この地はもと小石川区久堅町であり、今に続く相馬屋までは徒歩

  30分ほどの距離だが、病身の啄木には人力車を頼るしかなかった。

  ただ、人力車では登れない急坂も数多ある起伏に富んだこの地域を

  啄木の俥は果たしてどのルートで行ったのか、そして病身の眼にどの

  ような景色が写ったのか、俄然興味が湧いてきて、九月残暑の日盛り

  を我が家の古地図愛好家と連れ立って実地検証してみることにした。

    夫が手にしたのは「尾張屋板江戸切絵図」の嘉永・慶應(1860年・

  江戸末期)版。夫曰わく「永井荷風が『日和下駄』で散策する際に常に

  携帯してい た嘉永板の切絵図と同じと思われる」そうだ。荷風が日和

  下駄を鳴らしながら東京の街を歩いたのは啄木が亡くなったわずか

  二、三年後(大正三、四年)である。また岡本綺堂によれば江戸の街並

  みが大きく変わったのは関東大震災以後で、明治期まで江戸の面影

  は色濃く残っていたと言う。とすれば荷風が頼ったこの切絵図を私達

  が参考にしても大きな間違いは無さそうだ。

     さて切絵図で久堅町から神楽坂へ向かう道を探すと、人力車で走れ

  る往来は意外と限られ、大きく二つのルートしかないことが明らかに

  なった。

     一つめは現在も当時と同じく「新坂」と呼ばれる、最後の将軍徳川

  慶喜終焉の地を神田川へ下る道だ。ただこの道だと川端から神楽坂

  へ向かう道が見当たらず、複雑な路地をたどらねばならない。

     二つめは春日通りを伝通院前の交差点まで行き、右折して安藤坂

  を神田川方向に下る道だ。春日通りから当時のメインルート、伝通院

  の参道がまっすぐ続く安藤坂を下りていくこの道を進むことに

  決める。

     さていよいよ出発だ。ここ久堅のすぐ横手の播磨坂は戦後できた道

  なので地図を見ながら表通りまで古い路地を進む。春日通りに出て伝

  通院方向へひたすら直進。昔から主要な通りで賑やかな往来だ。

  雨の日には潦に轍の跡が幾筋も見えたことだろう。五分ほどで伝通院

  通りの大きな交差点に出たら安藤坂へ右折する。

  
                                                                   ⇑  伝通院交差点


  
                                                                            ⇑ 安藤坂


    この安藤坂は江戸期から幅の広い急坂だったが、明治42年に

  市電を通す際、緩やかにされた。この勾配なら俥も大丈夫かと。

  安藤坂を下りながら、啄木は脇を通る市電、道に敷かれたレール、

  夕空にパンタグラフから散る火花をどんな思いで眺めていた

  だろうか。


     途中ですが、この続きは次回へ。

         お読みくださりありがとうございました。



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