第 9 回 (2018年 3月) 寺尾 登志子 |
明日香川淵にもあらぬわが宿も瀬にかはりゆくものにぞありける 伊 勢 古今和歌集 雑歌下九九〇 王朝和歌は雅なことばかり詠まれたと思われがちですが、「晴れ歌の伊勢」と いわれる作者の、金銭にまつわる内容を「親父ギャグ」を利かせて詠んだ歌を ご紹介しましょう。 掲出歌には「家を売りてよめる」と詞書が付いています。伊勢は中宮に仕える キャリアウーマンとして、宮中で華やかに活躍していましたが、ある時、親から 伝わる邸宅を売却せねばならなくなりました。 売却は首尾良く運んだものの、一抹の寂しさは如何ともしがたい。その思いを 一首に込めたのです。 「明日香川」といえば当時の人々はすぐ「世の中はなにか常なる明日香川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という古歌を思い出し、「明日香川」はこの世の無 常のシンボルでした。伊勢はこの歌の「淵」に「扶持」(守り助けること)、「瀬に」 には「銭」を掛けて自歌に用いています。 「世の中は無常ですこと。明日香川の淵でもない私の家ですが、今日は瀬 に変わってしまうのですねえ。」と上品に詠嘆しつつその心は、「親からの家屋 敷だけれど、維持するだけでもう大変。何の扶持(助け)にもならないし、思い 切って売ってしまったら、ちょっとまとまった銭になったのよ。」というのが本音 なのでした。 伊勢は紀貫之と同時代の女流歌人で、その作品は後続の和泉式部や 紫式部に大きな影響を与えています。華やかな恋愛遍歴も有名で、宇多天皇 の中宮温子に仕え、宇多天皇とその皇子敦慶親王双方の寵愛を受けてそれ ぞれに子を授かりました。親王との間に生まれた娘の中務も、母と同じく 三十六歌仙の一人に数えられています。 |