第  39  回  
(2023年04月

寺尾 登志子

 

                        遣 新 羅 使 人 の 墓 

            天平八年(763)年に派遣された遣新羅使の船は、疫病の猛

          威に曝されて多くの犠牲者を出し、新羅に国書さえ渡せない困

          難と苦悩の連続でした。

             その歌々を、令和のコロナ禍の日々に読み継いできたのです

         が、ひとしお心に残るのは、壱岐で亡くなった雪連宅満(ゆきのむ

         らじやかまろ)と、対馬で果てた大使・阿倍継麻呂の二人です。

            この三年あまり「mRNAワクチン」を何度も接種したり、社会活動

        や個人の行動が制限されるなど、先行きの見えないコロナ禍の不安

        の中で、早く感染が終息して欲しいと願う気持は、いつか異郷の土と

         なった二人の遣新羅使が眠る壱岐と対馬を訪れたいという、旅へ

         の思いとなりました。

            そして、この三月、いまだ終息とはいかないものの、少しずつ元

       に戻りつつある中、壱岐の島への旅を実現することが出来ました。

       空路でなく、玄界灘を船で渡ることにこだわったため、日程的に壱

      岐、対馬ふたつをめぐるのは無理とあきらめ、今回は、「雪連宅満の

     墓参り」、目的地は「壱岐の島」に絞って出発しました。

        天平八年の一行は、肥前松浦郡(佐賀県)から壱岐へと渡りました

    が、関東圏から新幹線で一気に博多へ運ばれる現代の旅人には、

    博多港からのフェリーが好都合。湾の右手に金印で名高い志賀島を

    望みながら、2時間ほどの快適な船旅となりました。

      接岸したフェリーからいよいよ壱岐の島に降り立ち、黄砂けぶる春の

   強い日差しを浴びながら、その日は観光タクシーでリアス海岸の奇巌

   や古い寺社を巡り、雪連宅満の墓参は翌日ということに。 

        〈石田野(いはたの)に宿りする君 家人のいづらと我れを問はば
         いかに言はむ  巻十五・3689〉

       都の遺族に君の消息を聞かれたら、私は何と言ったらよいのか、

   と仲間の歌った哀切な挽歌が思い出されます。歌によれば、宅満が

   葬られたのは「石田野」ということになります。

     地元のパンフレットをみると「遣新羅使の墓」と地図にも記載されて

  います。わが旅のプランでは、路線バスを利用して県道を歩き、標識

   を見つけて間道へ入ればよいはずでしたが、島の観光はそう甘くは

   ありません。

      びゅんびゅんスピードを出す車輌が行き交う県道を2キロ近く歩く

   ことになるので、いかに墓参とはいえ、いささか躊躇されます。結局

   レンタカーを借りて、マニュアル車愛好家の夫に運転を頼ることにな

  りました。慣れないオートマ車に奮闘する運転席の横で「あっ、遣新羅

  使の墓!」と標識を見つけた時には、ほっと一息つきました。

     ところが、その後がまた一苦労です。道は一気に細くなり、軽トラ一台

  がやっとという林道です。木立の覆うジグザグの坂道をどうにか上りつめ

  ると、祠の前に狭い駐車スペースがあり、取り敢えずそこから徒歩で探す

  ことにしました。

     椿の紅い花が散り敷く鬱蒼とした山道を少し歩くと、生い茂った枝に

  隠れるように「遣新羅使の墓」という標識があります。道は下草が刈られ、

  荒れた感じはしませんが、多くの観光客が足を運ぶ雰囲気ではありませ

  ん。湿った落葉の道を歩くと、墓は直ぐ見つかりました。

     大きな自然石が二つ、大きい方には「万葉の里 石田野」と刻まれて

  おり、小さい石の方の文字は摩滅して読めません。市の教育委員会に

  よれば、大正時代に地元の郷土史家によって、この辺りの地名が古くか

  ら「石田野」ということから、石田野を見晴らす小高いこの丘が雪連宅満

  の埋葬地と定められたそうです。

     目の前の石の墓標は、当地で果てた遣新羅使人に思いを寄せ、雪連

  宅満を顕彰した郷土史家の情熱によるものかと、百年、千年、連綿と続く

  時の流れに身を委ねることができました。

    万葉集に導かれて玄界灘へとくり出した今回の旅。黄砂にけぶる海の

  すぐ向こうは、対馬です。いつかきっと行けるような気がしたのは何故

  だったのか、不思議です。

     「遣新羅使の墓」とその向こうの、菜の花と陽光溢れるのどかな

  「石田野」の眺めを写真に納めました。    「写真:寺尾格氏」

 

 

   

  

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