第  35  回  
(2022年12月

寺尾 登志子


      
                         雪連宅満を悼む挽歌

            佐賀県唐津湾の神集(かしわ)島に停泊した一行は、いよ

         いよ玄界灘の荒波を越えて壱岐の島へと向かいました。壱岐、

          対馬のすぐ先は、目指す新羅の釜山です。使節団の意気あ

          がり緊張感もいやますところですが、ここで悲劇の一幕が切っ

           て落とされます。

              一行の雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が「鬼病」で死去

           したのです。「鬼病」とは漢訳仏典の語で「悪病」のこと。宅満

           の死因は、前年既に大宰府管内から広がっていた「天然痘」

           だったと言われ、天平パンデミックによる、使節団最初の犠牲

           者となりました。

              死者が出たほどですから、他にも罹患して体調すぐれぬ者

           がいたはずで、死者を鄭重に葬り、目に見えぬ悪鬼病魔を

           祓い、続く航路の安寧を予祝しなくてはなりません。不如意な

           旅空の下とはいえ、大使・阿倍継麻呂の采配によって、ねんご

           ろな喪の儀式が行われたはず。    おそらくそこで献じられ

           た挽歌が九首遺されました。三人の作者が、長歌に反歌二首

           を添えた三首ずつ詠んで計九首となっていますが、始めの長

           歌を、三つに区切って読んでみましょう。

           天皇(すめろき)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 韓国(からくに)

           に 渡るわが背は 家人の 斎(いは)ひ待たねか 正身(ただみ)

          かも 過ちしけむ

         〈天皇の遠い使者として 新羅に 渡る貴方は 家族が 忌み慎ん

         で待たないからか 当人の過ちだったのか…〉

           死者を「渡るわが背」と呼ぶのは、使命を同じくする気心知れた

        同輩でしょうか。その突然の不慮死を肯えぬ思いが、都にいる家族

        の君への無関心とか、当人自身の過失に向けられます。家族を引

        き合いに死者を悼むのは、行路で逝った人を偲ぶ挽歌の伝統的

        典型ですが、死者の不注意かと添えたところに、死を受けいれられ

        ない、八つ当たりのようなやり切れなさが滲みます。

       秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も

      経ぬれば  今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに

   〈秋になったら 帰りますと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も

    経たので 今日は帰るか 明日は来るかと 家族は 待ち焦がれてい

    るだろうに…〉

       難波津の出港は六月初めでした。秋深まる頃には帰りたい、という

    思いを支えにやって来ましたが、予期せぬ漂流や仲間の死によって

    旅は難航するばかり。作者自身の不安や焦りが、都で帰りを待つ家族

    の姿に投影されています。

    遠(とほ)の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離(さか)りて 岩が根の

  荒き島根に 宿りする君 巻十五・3688

   〈遠い韓国に いまだに着かず 大和からも 遠く離れて 岩のごつごつ

   した 荒涼とした島に 旅寝をする君であることよ〉

      一首冒頭の「天皇の遠の朝廷と韓国に渡る我が背は」勅命を果たす

   こともなく、一人異郷の地に葬られました。末尾で再度「岩が根の荒き

   島根に宿りする君」と呼びかけたところに、哀切さが溢れます。無記名

    の作者ですが、つらい職務を共にしたいわば戦友の死に対する悲しみ

    が伝わる長歌です。この後に反歌が二首添えられ、さらに思いを深め

    ています。

    石田野(いはたの)に 宿りする君 家人の いづらと我を 

    問はばいかに言はむ 3689

   〈壱岐の石田(いしだ)の野に 眠る君の 遺族が、どうしたかと私に 

   尋ねたら何と答えようか〉

   世の中は 常かくのみと 別れぬる 君にしもとな わが恋ひ行かむ3690

   〈世の中は 無常なものと諦め 死に別れた 君をむしょうに 私は

    恋いながら旅を続けることだろう〉

      長崎県壱岐市の印通寺港の西、石田峰と呼ばれる小丘に遺跡があ

   り、遣新羅使人雪宅満の墓と伝えています。千三百年前、天平の疫病

   に斃れた使人への挽歌を読むとき、対馬、韓国へと続く壱岐の島

   の真っ青な海が胸中に広がってくる気がするのです。


    

   

  

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