第 25 回 (2019年8月) 寺尾 登志子 |
よしさらば後(のち)の世とだに頼め置けつらさにたへぬ身ともこそなれ 皇太后宮大夫俊成 新古今和歌集一二三二 平安時代の末期に一世の大歌人として敬われた藤原俊成ですが、 冷たいそぶりの女に苦しい胸中を激しく訴えたこの歌、決して恋の題詠 ではありませんでした。 「よし、わかった、貴方がそういう態度なら、せめて来世に逢おうとだけ でも約束し、心頼みとさせて下さい。貴方のつれなさに耐えきれず、私は もう生きていられそうもないのです。」 大歌人が恋情を吐露した相手は、美福門院加賀の召し名を持つ女房で 、『源氏物語』を愛読する文芸趣味豊かな歌人でした。二人ともすでに既婚 者で、加賀には長門守藤原為常という夫がおり、この夫の姉妹を俊成は妻 にしていたのです。 俊成は義理の兄弟の配偶者と恋におちたわけで、二人の間には姻戚 縁者の噂や干渉など様々な障壁があり、まさに「忍ぶ恋」の現実バージョン であったようです。 さて、女の返歌が気になります。 頼め置かんたださばかりを契りにて憂き世の中の夢になしてよ 「約束してあてにさせ申しましょう。ただ来世での逢瀬を契り、宿縁として、 これまでのことは憂き世での夢にしてください。」 男の歌は下の句が本意なのですが、女は「頼め置け」に反応して、 この世で結ばれるのを諦めたかのような口ぶりです。二人の悲恋の行方 が気になりますが、加賀の夫の為常はやがて出家し、加賀と俊成はめで たく結ばれ、二人の間には天才歌人藤原定家が誕生します。 二人は五十年ほど連れ添い、俊成は加賀に先立たれますが、 その折に墓前で詠んだ哀傷歌がしみじみと胸にしみ入ります。 まれに来る夜半も悲しき松風を絶えずや苔の下に聞くらん 俊成八十歳の絶唱といえましょう。 |