第  24  回  
(2019年6月

寺尾 登志子



          玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

                                       式子内親王 新古今和歌集恋・一〇三四

     百人一首で知られる式子内親王の代表歌で、「忍恋(しのぶこい)」の題

  で詠まれました。制作年代は分かりません。「玉の緒」は命のことですから、

  上二句は自分自身の「命」に向かって「絶えるのだったら絶えてしまえ」と強

  い語調で言っています。

    読者はその口調の激しさに思わず(えっ?なぜ)とたじろぎます。すると次

 の瞬間、「ながらへば」すなわち、「これ以上永く生きれば」とおもむろに発話

 する作者の声色を聞き、「秘めねばならないこの恋を、忍ぶ力はもう限界のよ

 うに思われるから」と、そのわけを打ち明けられるのです。末尾の「もぞする

 」は「~したら大変だから」という強い懸念を表し、「モ・ゾ・ス・ル」というオ段音

 とウ段音の連なりが重石のような自省心の強さを響かせています。

   題詠でありながら、忍ぶ恋に殉じようとする激しい潔さが切実に感じられるこ

 の一首、多くの人の心に刻まれ、愛誦されてきましたが、幼い頃から賀茂神社

 の斎院を務め、長く神域で暮らしてきた作者のどこにそんな気迫が秘められて

 いたのか、不思議にさえ思えます。

   後白河法皇皇女である式子内親王の生きた五十年間は、武門平氏の栄枯

 盛衰と源氏による武家政権樹立という激動の半世紀にほぼ重なっています。

 また同腹の兄、以仁王が平家追討の志を果たせぬまま非業の死を遂げてい

 ることからも、彼女の置かれた情況の難しさが想像されましょう。

   掲出歌は、死と滅びがごく身近にある時代にあって、和歌という定型詩に

 よってその感性と表現力とを鋭利に研ぎ澄ませていった作者による、必然

 の一首と言っても過言ではないかもしれません。



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