第  22  回  
(2019年3月

寺尾 登志子



           庭の面(おも)はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな

                                                   源 頼政 新古今和歌集二六七

     猛暑の熱気を鎮めて夕立が過ぎ、庭の草木や土はまだ湿っているけれ

  ど、空にはもう雲の影さえ見えず、何事もなかったように澄みきった月である

  ことよ。

     「夏ノ月を詠める」という詞書の付く一首で、雨上がりの土の香と夕べの大

  気の清涼感が立ち上がり、夕立に洗われた空と一点の曇りもない月が描出

  されています。

    頼政の代表作といわれるだけあって、夏の季節感あふれる月を味わうことが

  できますが、繰りかえし読むうちに、抑制された悲哀感が湧いてくるのはなぜ

  でしょうか。

      それはたぶん、「まだかわかぬに」と「空さりげなく」に触発されるのだと思

  います。

    私たちの日々には、時として驟雨のような悲しみに心閉ざされることがあり

  ます。それが鎮まるのをじっと待つ合間なら、「まだかわかぬ」のは涙でありま

  しょう。頼政はその涙を詠まず、感情の波に揺さぶられた後の「さりげなく」澄

  んだ「月」を見つめています。

     初句の「庭」とはささやかな暮らしの場であって、「空」がすべての感情の還

  りゆく根源とするなら、「月」は静謐で寛容な、あるべき心の姿と見えてきま

  す。なかなか到達しそうにない心境ではありますが。

    作者が、髙倉宮以仁王を奉じて平家討伐の兵を挙げたのは77歳の時、

  宇治の平等院で自死する一月前のことでした。その前年には出家さえしてい

  ます。

    自選の家集『頼政集』をのこす武将歌人の彼は、人生の最晩年に老骨の

  武将として果てることになったわけですが、その背景には、武士の台頭による

  源平の合戦を控えた、大きな時代のうねりと要請がありました。


  




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