第  15  回  
(2018年 9月

寺尾 登志子


   向ひゐて見るにも悲し煙りにし人を桶火の灰によそへて

                                               和泉式部 和泉式部続集 六十

   和泉式部は天与の歌才に恵まれた稀に見る女流歌人でしたが、その才を

愛で、和歌史に揺るぎない地位と栄誉を与えたのは、年下の恋人、帥宮敦道

親王でした。次代の天皇ともなりうる親王と中流貴族の人妻との恋愛は、噂好

きな上流社会に恰好の話題を提し、和泉といえば、スキャンダラスな女、浮か

れ女(め)、のイメージが貼りつきました。なにしろ橘道貞という夫がありながら、

敦道親王との恋に落ちる前、短期間ながらその兄宮とも恋愛関係にあったの

ですから。

   兄宮は疫病であっけなく亡くなり、その喪も明けきらぬうちに弟宮からの誘い

にのるかたちで、身分違いの恋が始まった顛末は『和泉式部日記』に記され

ています。

   漢詩や和歌に理解の深い敦道親王のもとで、和泉はその才気を存分に発

揮し、神経質でエキセントリックな性癖もあったという若き親王の孤独に寄り添

い、その無聊を慰めたのでした。

   身分の異なる二人は、世間的には主人と召人(めしうど)という立場でした

が、文学で結ばれた一対の女男(めお)という間柄で、和泉は宮との間に御子

も生んでいます。

   御子は後に出家して石蔵宮(いわくらのみや)と呼ばれ、和泉は歌とともに

「粽(ちまき)」を届けたりもして、母性的な一面も覗かせています。

   けれども、その恋はわずか四年で終焉を迎えました。敦道親王の薨去は

寛弘四年(1007)の初冬、享年27でした。『和泉式部続集』は、宮の死を悼む

和泉式部の挽歌122首を載せ、世に「帥宮挽歌群」と呼ばれています。死別の

喪失感が渾身の情熱で歌われたそれらは、究極の相聞歌でもあって、

和泉式部の魅力を伝える白眉の歌々といってよいでしょう。

   捨てはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我が身と思へば夢にだに

見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ

   こうした悲恋のオペラのアリアを思わせる官能的な挽歌こそ、和泉式部らし

いのですが、掲出歌には全く別の味わいがあります。「火桶にひとりゐて」という

詞書にも惻々とした抒情があり、恋しい人を喪った和泉の肉声を聞くような思い

がします。

   底冷えのする夜に、ひとり火桶の灰を掻き寄せる女の仕草が目に浮かび

ます。火種はやがて燃え尽き灰になる。その灰を、火葬の煙となった亡き人に

「よそへて(見立てて)」いるのです。まるで恋人の死を我が身に納得させるか

のように。

    けれども、在りし日の面影は消えやらず、悲しみはいよいよ増すばかりだと

歌っています。







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