第  13  回  
(2018年 7月

寺尾 登志子


   数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり

                                                  紫式部    紫式部集    五四

   私たちの「心」に潜むエゴイズムを小説にしたのは明治の文豪夏目漱石で

したが、和歌の世界でも万葉集以来多く歌われ、古今集になると「身」と「心」の

関わりに注目されるようになりました。

「身を捨ててゆきやしにけむ思ふよりほかなるものは心なりけり」これは凡河内

躬恒が、久しく訪わずにいた女から恨み言をいわれた時の返歌です。

  「私の心は私の身を捨ててどこかに行ってしまったんですよ。いやはや思い

通りに行かないのが心ですね」などと逃げ口上を述べています。「数ならぬ身

は心だになからなむ思ひ知らずば怨みざるべく」こちらは拾遺集の読み人知ら

ずの歌で、「物の数でもない私にはいっそ心なんかなければいい。そうすれば

こんなにあなたを怨まないだろうから」と、相手のつれなさを嘆く恋心を歌ってい

ます。

  これらに比べると、紫式部の一首はさすが大作家の歌と感嘆したくなる複雑さ

を感じさせます。

「とるにたらない心などに身を任せませんが、でも、それにしても、心というもの

はつらい身の上にもひったりと従うものですね」と、言って意識と無意識の狭間

にたゆたう己の「心」を見つめています。

  詞書には、思い通りにならないとひたすら嘆くばかりの自分を思って詠んだと

あり、鬱欝と落ち込む日々にも、じっと身を潜め、自らの「心」を腑分けするよう

な内省の強さを感じさせます。

紫式部の歌ともあれば、若干理屈っぽいのも致し方ないといえましょう。

 



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