第  11  回  
(2018年 5月

寺尾 登志子



   頼めこし言の葉いまは返してむわが身ふるれば置き所なし

            典侍藤原因香朝臣(ないしのすけふぢはらのよるかのあそん)

                                                  古今和歌集 恋歌四 七三六

   今となっては懐かしい昭和の歌謡曲に「別れの朝」というのがありました。

なかにし礼作詞で「別れの朝冷めた紅茶を飲み干し、笑いながらさよならの口

づけを交わす」などという場面はちょっと恰好良すぎるのですが、男女の別れ

に泥沼の愛憎はつきものだから、せめて歌の中ではシャンとほほ笑んでみた

くもなるのでしょう。

   掲出歌は訪れて来なくなった男に、以前もらった恋文をまとめて返す時に

添えられました。作者は歴代の帝に仕えた高位の女官です。「頼めこし」は

「頼りとし、当てにしてきた」の意で、上の句は「頂戴した恋文を今はもう返し

ましょう」と言っています。

    そして、下の句で「私は年をとってしまったので、身の置きどころが無く手

紙を置く場所さえありません」と、その理由を述べています。「ふるれば」は「古

る」で、小野小町の「我が身世にふる」の掛詞が思い出されます。長い歳月を

経て古びてしまった私、というと身も蓋もないのですが。

   作者のいう「身の置きどころの無さ」とは、若い頃であれば、自意識の裏返

し、自己主張の反転した感情を言いました。けれども、「老い」を自覚した時

から、「周囲に取り残される不安と拠り所の無い寂しさ」となるもので、「老い」

とはどうしようもない不如意に他なりません。  掲出歌は、それをやんわりと軽

いユーモアで包んだところが魅力です。「置きどころ」に手紙の置きどころを重

ねたウイットが光ります。この歌に続く、近院右大臣源能有の返歌も読んでおき

ましょう。今はとて返す言の葉拾ひおきておのがものから形見とや見む

   今はもう終わりにしましょう、こう言って貴女がお返しになる手紙は手元に置

いて、自分が書いたものだけれども、二人の恋の形見として大切にするつもり

ですよ。

   たとえリップサービスと分かっていても、恋の形見にすると言われて悪い気は

しなかったはず。男女の真価は、別れた後に問われるもので、恰好良い、大人

の恋の別れがしのばます。
 
 




  




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