第 4 回 (2023年11月) 3 寺尾 登志子 |
君が行く道の長手を(その三) 万葉集の恋人たちは、これから長く逢えないという別れの時、 お互いの「下衣(したころも)」を交換して別れました。「下衣」 とは今でいう肌着です。それがどんな物だったか、残念ながら 分かりませんが、今の和服の肌襦袢とか腰巻きのような物なら、 男女で交換してもさほど不都合はなさそうです。 一夜を過ごして思い尽きせぬ別れの朝、下衣の紐に自分の 魂を込めて結び合います。相手の下着を身に着けるのは、必 ずまた逢えるように祈るまじないで、互いの貞操の証でもありま した。長くなれば洗濯くらいはしたでしょうが、自分で紐を結び ながら、別れる時に結んでくれた相手のことをきっと思い浮か べたことでしょう。 次は、越前味真野(あぢまの)の配所へ流された宅守の歌 です。 〈我妹子(わぎもこ)が形見の衣なかりせば何物もてか 命継がまし3733〉 「せば…まし」は事実と違う事態を想像しており「もしあなたの形 見の衣がなかったら、いったい何によって生きながらえようか」 と歌っています。失ったら生きていけないほどの「形見の衣」 とは、愛しい相手の肌の温もりや体臭さえ感じられる「下衣」に 違いありません。罪人として流刑に処され、配所で生きるよす がは妻の肌着だけ、と訴える夫に奈良の都で待つ妻はどう応 えたでしょうか。 〈白たへの我(あ)が下衣失はず持てれわが背子直(ただ) に逢ふまで3761〉 「持てれ」は、「持ちあれ」の略で、「白い私の肌着をなくさず 持っていてくださいね。私の愛しい人よ。じかに逢うその日まで」 と歌うその心は、別離に悲嘆する自分自身も支えてもいる のでしょう。一枚の「下衣」をめぐって、いつとも知れない 再会の日を祈りながら、新婚の二人は遠く離れた互いの心を 思いやっているのです。 |