第 42 回 (2023年10月) 寺尾 登志子 |
君が行く道の長手を(その二) 奈良の京の役人だった身分を剥奪され、罪人として越前の 配所へ送られることが決まった夫に対し、妻の狭野弟上娘子 が別れに臨んで四首詠んでいます。そのうちの一首目を読ん でみましょう。 〈あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし3723 〉 これから流刑地へとつらい山路を越えてゆくわが夫(せ)の君 の姿を浮かべ、結句で「安けくもなし」、安らかであろうはずがない、 ときっぱり述べています。 一読して別離の悲嘆と不安とが率直に伝わりますが、目を引くの が四句の「心に持ちて」です。心に深く刻み思い続けることを言う のですが、万葉集中、他に類を見ない表現だそうです。 よく似た言い方に「心に乗り」があり、こちらは集中に八例見られる のと対照的です。 〈春さればしだれ柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも 巻十・1896〉 三句の「とををにも」は、枝などがしない、たわむ状態のことで、 「春になるとしだれ柳の枝がしなだれ掛かるように、あの娘は私の 心に載ってしまったなあ」と歌っています。柳の芽吹きの勢いと美し いさみどり色が、妹への思いを彩っています。 注目されるのは、「心に乗り」と歌うのが、みな男性であること。 このフレーズを用いた歌は、いずれも男性が女性へ恋心を伝える ものなのです。それに加えて、どこか軽やかで何かの拍子に「妹」 は心から落ちてしまいそうなのも気になります。 それなら誰も用いていない「心に持ちて」はどうか。両手に余るほど の重い荷物を持ち抱えるように、私はいつでも、いつまでも、 心にあなたを離しますまい、という「私」の意志が感じられます。 愛しい夫との悲痛な別離から、狭野弟上娘子は自分だけの独創的 な表現を得たように思うのです。「心に持ちて」からは、 今風にいえば、胸がつぶされるほどのストレスに、逃げずにまっすぐ 向き合おうとする毅然とした娘子の姿が浮かんできます。 |