第 40 回 (2023年06月) 寺尾 登志子 |
恋する女子(をみなご)の心意気 このところ家庭を持つ有名女優の恋文が巷間に流出して、耳 目を集めています。男女のことゆえ、成り行きに口を挟むのは野 暮というものですが、SNS全盛の時代に、昭和の香りふんぷんた る「恋文」が出現して、驚くとともに感動に近い印象を受けました。 恋文は、時間をかけて言葉を紡ぎながら、もう元にはもどれない激 しい昂ぶりを見つめ、恋というアナーキーな情熱に身を委ねる覚悟 をおのれに課すためのもの。そんな腹の据わった潔い恋情を、 万葉集の女性歌人も歌っており、いざとなれば覚悟を決める恋 する女子の心意気には、千三百年の時を越えて通じ合うものがあり ます。 さて、奈良に都のあった頃、ある時、女が親に内緒で男と契りを 交わしました。ところが、男の方は、相手の親に責められるのを怖れ て次第に弱気になってゆきます。逢瀬もままならなくなった女は、 次の歌を詠んで男に贈りました。 〈事しあらば 小泊瀬山(こはつせやま)の 石城(いはき)にも 隠(こも)らばともに な思ひそ我が背 巻十六・3806〉 「小泊瀬山」は埋葬地として知られた「泊瀬」を連想させる地名で、 「石城」とは「墳墓の石室」、あるいは「戦のための岩を積んだ砦」 とも読め、いずれにせよ、死をかけて闘う場所の比喩でしょう。 「事しあらば」とは二人の仲を邪魔立てすること。結句の「な~そ」 は禁止を表します。 もし恋の邪魔が入ったら、小泊瀬山の岩城に隠る覚悟です。 もちろん隠るのだったらもろともに。どうか、そんなにくよくよ思い 悩まないで下さい、わが背の君よ。 「事しあらば」「隠らば」と、仮定形で畳みかけるリズムが相手に グイグイ迫るようで、こんな歌を贈られたら男としても覚悟を決めな いわけにはいきません。多分、女は男より身分の高い家の娘だっ たはずで、男の怖れは社会的制裁に対してだったのでしょう。 とはいえ、こんな凛々しい女性がパートナーとあれば、いかなる 困難もともに乗り切ってゆけそうです。男の返歌の残されていない のが、何とも残念なのですが。 |