第  36  回  
(2023年01月

寺尾 登志子



                         大使の辞世歌(?)

            壱岐の島で亡くなった雪宅満(ゆきのやかまろ)を鄭重に葬り、

         一行は対馬に向かいました。対馬に着いたのは八月下旬とい

         われ、難波津を出港してから、三か月になろうとしています。

         季節ははやくも秋。無事役目を果たして秋には帰る、という望み

         も立ち消え、疫病によって同朋の一人を失った人々の心中は、

         察するに余りあるものでした。雪宅満と同じ病に罹患して体調を

        崩す者も、少なからず出始めていたはずです。それでも勅命は

        絶対ですから、新羅に向けて船は粛粛と進むばかりです。

           対馬では、大使、副使、大判官、小判官をはじめ、無記名の

      作者らによって、二十一首の歌が作られました。対馬の先はいよいよ

      半島の玄関口釜山です。ここでぜひとも一団の心を一つにして、

      仲間の死を乗り越え、士気を高める必要があったのでしょう。

      風光明媚な浅茅(あそう)湾の風待ちの港だった竹敷(たかしき)

      での歌宴では、「玉槻(たまつき)」という名の遊行女婦も歌を残し

     ていて、座を盛り上げるのに一役買っています。大使、阿部継麻呂

     がその席でも口火を切り、次の一首を歌いました。

     あしひきの山下光る黄葉(もみぢば)の
                                                散りのまがひは今日にあるかも 

                                                                 巻十五・3700 

     四句の「散りのまがひ」は、「散り」が「散ること」で「まがひ」が「入り乱

     れること」。動詞「散る」と「まがふ」の連用形がそれぞれ名詞化して

      います。

     〈あしひきの山裾までも光る黄葉、その散り乱れるまっ盛りは、
                                            まさしく今日、この日なのだなあ〉

      黄金色のモミジが散り交う絢爛たる景色は、実景か言葉による映像

    美なのかわかりませんが、「散りのまがひ」が印象的です。風に舞う木

    の葉のように、明日の命はどうなるか誰にも分からない。それでも、

     光り、輝き、散りゆく黄葉の美しさをこの目で心ゆくまで眺めている

     今日、この日こそ、かけがえのないものなのだ。何回か読んでいると、

      そんな心が伝わってくるような気がします。

        この後、新羅に到着した一行は、新羅に対面を拒否され、使人

     としての目的を果たせぬまま満身創痍で帰国します。新羅の対応

      は、先年、日本が新羅からの使いに同様の対応をしたことの報復

      だったのですが、疫病に罹患した水夫たちの姿に怯えて、

     上陸そのものを拒否したのかもしれません。新羅から帰る一行の

      歌は残されておらず、もはや歌宴どころではなかった悲惨な情況

     がしのばれます。

       大使阿部継麻呂は帰路の対馬で、雪宅満と同じく罹患によって

    没しました。大使への挽歌こそありませんが、往路に自ら詠んだ

   「散りのまがひ」の歌は、死を覚悟した大使の辞世歌のように思え

   てきます。   歌の中で光り輝きながら散り交う黄葉は、

   困難な外交上の使命を担い、大使という重責を負った

    阿部朝臣継麻呂の、心意気を伝える「言の葉」だったのです。


   

  

inserted by FC2 system