第  34  回  
(2022年11月

寺尾 登志子



                     妻に成り代わる娘子(をとめ)の歌


           瀬戸内海から筑紫の浦々を進んだ新羅使人の船は、肥前

       国松浦郡柏島に着きま した。現在の佐賀県唐津湾神集島

      (かしわじま)です。ここからいよいよ、玄界灘のうねりを越え壱岐

      の島へ渡ることになり、宴席が設けられました。「遥かに海浪を望

      みて、おのおの旅の心を慟(いた)みて」詠まれた歌が七首載って

      います。初めの二首を読んでみましょう。

     帰り来て見むと思ひし我がやどの秋萩すすき散りにけむかも3681 

    〈帰ってきて見ようと思っていた我が家の秋萩とすすきだが、今頃は

    もう散ってしまっただろうなあ〉

      結句の「けむ」が過去推量で「かも」は詠嘆を表します。

   作者は秦田麻呂(はだのたまろ)。この作者は、6月に難波津を出港

   する際に、いったん奈良の自宅へ戻った人物と同じだろう言われてい

   ます。

   「夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ我(あ)が来る妹が目を

   欲(ほ)り3589」 こう歌った作者です。一目なりとも妻に会いたいと、

   ひぐらし鳴く生駒山を一気に越えた人物で、あの時の別れから

   約二か月。暦は八月となり、季節は秋へと移りました。

      どんなに妻が恋しかろうと、もはや逢いに帰れるはずもなく、妻の

   待つ「我がやど」の庭をしのぶことしかできません。この思いを受けて、

  妻に成り代わって詠まれたのが次の歌です。

   天地(あめつち)の神を祈(こ)ひつつ我(あ)れ待たむ早来ませ君

                                                      待たば苦しも3682

  〈天地の神様にお祈りして私はお帰りを待ちましょう。1日も早く

          お帰りなさいませ、あなた。待つのは切なくつらいものゆえ。〉

     作者は「娘子(をとめ)」とのみ記されますが、これは宴席に侍る遊行

  女婦を意味します。客に対する挨拶の意を込めながら、我が家の妻を

  恋う前歌の思いを汲みつつ、待つ妻を演じてみせました。我が家から

   遠く離れて妻を恋う気持は、一行に共通する心情でしたから、娘子の

   一首に皆大いに慰められたことでしょう。

     こうした宴に呼ばれた女性たちは、その場の空気を読み取り、当意

   即妙に一首で応じる機転と才気、それに教養をも備えていたようです。


    
   

  

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