第  29  回  
(2022年3月

寺尾 登志子


     
              紀女郎(きののいらつめ)その六

    前回は、年下の男からの誘いをやんわり断る紀女郎と、君がお

   婆さんになっても愛するよ、という昭和歌謡にありそうな家持の返

   歌を読みました。家持の歌に詠まれた老女の迫真ぶりは、もう笑う

   しかないほどで、そこには文芸を介した粋で濃密な男女関係が見

   られました。

    そんな二人の贈答歌をもう一つ紹介しましょう。女あるじと彼女に

   仕える若造(戯奴=わけ)の立場に成り切って贈答しています。ある

   時女郎は、茅花(つばな)と合歓(ねぶ)の花を折り取って家持に贈

   り、歌二首を添えました。

    ・戯奴(わけ)がため我(あ)が手もすまに春の野に抜ける茅花

     そ召して肥えませ 巻八・1460 

    ・昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓の花君のみ見めや戯奴さへ

     に見よ同・1461

       一首目の「すまに」は「休めないで」、「そ」は強めです。

    「茅花」はチガヤの花のことで甘味のある若い穂を茎から抜いて

    食用にしたそうです。二首目の「君」は目上に呼びかけているの

    ではなく、自分のことを言っています。「さへに」は「さへ」の古い

    形です。

    〈おまえのために春の野で休まずせっせと引き抜いた茅花です

    よ。どうぞ召し上がってお肥り遊ばせ〉

    〈昼は花開き、夜には恋いつつ眠る合歓の花です。あるじばかり

    が見てよいものか。おまえもとくと御覧あれ〉

     家持は痩身だったようで、それをからかってみたり、合歓の花に

   恋の情緒をまとわせて、若い家持を挑発したりしています。「合歓」

   の字は漢籍で男女の交わりを示し、その花を見よ、というのは相手

   へのきわどい謎かけとなっています。さて、家持の切り返しはいか

   に。

    ・我(あ)が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花を

     食(は)めどいや痩せに痩す同・1462

    ・我妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きて

     けだしく実にならじかも同・1463

      二首目の「形見」、万葉集では故人だけでなく生きている人

    の記念の品を言います。「けだしく」は「ひょっとすると」と訳し

    ます。

    〈わが君に、若造の私は恋をしているらしい。頂いた茅花を食

     べたけれど痩せに痩せるばかりです〉

    〈可愛いあなたの身代わりの合歓は、花が咲いてもひょっとした

    ら実は成らないのでしょうか〉

     一首目の結句の強調表現は、恋に苦しみ身は細ると言うの

   でしょう。二首目では相手を「吾妹子」と親しみをこめて呼び、

   芝居の主従関係をはみ出すことで、親愛の情を伝えています。

   結句の花が実を結ばないというのは、恋が実らぬことの比喩であ

   り、しみじみ花を見ましたが、共寝まではいきませんね、と巧みに

   挑発を交わしています。

    紀女郎と家持の二人は、女主人と若い従僕に身をやつしつつ、

  丁々発止のやりとりを楽しんだわけで、背景には天平時代の爛熟

  した貴族文化と、歌を介する多様な社交の場が思われます。  

  
  


  
  

  

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