第  28  回  
(2022年2月

寺尾 登志子

  
     
                紀女郎(きののいらつめ)その五

    コロナ禍の春も三回目を迎えています。会いたい人と会えない

   日々、電話やメールで交わす会話に慰められることも少なくありま

   せん。天平12年(740)、奈良の都を捨て新都造営を意図した

   聖武天皇に従い、突貫工事の始まった恭仁(くに)京に暮らす

   大伴家持も、同様の気分でした。

     婚約者の坂上大嬢を奈良に残し、単身赴任の無聊を歌でもっ

   ぱら癒すのでしたが、心を許した年上の女性歌人、紀女郎とのやり

   とりはこの上なく楽しかったようです。「逢いたい」「年の差大きいか

   らだめよ」「それでもいい、お婆さんになったって君を愛してる」とい

   うノリの贈答歌を読んでみましょう。

     家持の誘いの歌は省略され、年下の男からの誘いを拒否する

   女郎の歌から始まります。

    神(かむ)さぶと いなにはあらず はたやはた かくして後に 

    さぶしけむかも(巻四・762)

   玉の緒を 泡緒によりて 結べらば ありて後にも 

   逢はずあらめやも(同・763)

    一首目、「神さぶ」は神々しく振る舞うことですが、「女」を卒業し

  「老女」となったことを言うのでしょう。「いな」は「否」。「はたやはた」

  は「ひょっとしたら」という迷いを表します。

  (お婆さんだからノーではないのです。でも、ひょっとして、こうして

  お断りした後に、寂しくなるかもしれないわ)

    女神降臨を思わせながらの拒絶に、そっと女心を添えたところが

  憎い味わいです。二首目の「玉の緒」は命のこと、「泡緒」はゆるく撚

  った紐をいいます。

  (二人の命の紐をゆるく撚って結んだら、永らえて老女となった後、

  逢わずにいるでしょうか、きっと逢えますわ)

    恋の実体はなくても老いてなお求め合うのを良しとする、心の余

  裕と伸びやかさが伝わります。二人の関係、適確なスタンスを弁えた

  大人の女の反応とも言えます。そして、次が家持の返した歌。

    百年(ももとせ)に 老舌(おいした)出(い)でて よよむとも 

    我れはいとはじ 恋ひは増すとも(同・764)

  三句の「よよむ」は曲がること、主に腰が曲がったことを言います。

  (百歳になって緩んだ口元からろれつの回らぬ舌先を覗かせ、曲

  がったお婆さんになっても、私は嫌ったりしませんよ。恋心はいっそ

  う増すとしても)

   上の句は、老耄の姿を他にない適確さで描写しており、その直裁

  さゆえに笑ってしまいます。山上憶良は老いの苦悩をシビアに歌い

  ましたが、若い家持の歌からはユーモアが滲んでいます。言いたい

  のは、幾つになっても、あなたをお慕いしますよ。という平凡な内容

  ですが、上の句の迫力ゆえに印象強い一首になりました。

     この歌を読んだ紀郎女、涙がでるほど笑った後、しんみりと人を

  思うあわれを感じたのではないでしょうか。天平時代にも魅力的な年

  の差カップルがいたようです。



  
  

  

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