第  27  回  
(2021年12月

寺尾 登志子

  
    
                             紀女郎(きののいらつめ)その四

       小鹿とも呼ばれた紀女郎は家持との相聞歌で知られますが、当時

     の力量ある女性歌人でした。今回はその技量と優れた感性を示す

     「梅花」の歌を二首紹介しましょう。

       十二月(しはす)には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含(ふふ)

       めらずして                         巻八・1648    

      〈12月には沫雪が降ることを知らないからか、梅の花がもう咲いて

      いるよ。莟(つぼみ)のままでいないで。〉

        三句は「知らねばかも」の意味で「~だからか」という条件付きの

     疑問を表します。結句は「ふふみあらずして」の短縮形です。

      近代短歌でもよく使われた「含(ふふ)む」という語は、現代語の

   「含(ふく)む」と同じですが、万葉集では花や葉が開かずに、つぼ

   んでいる状態を言います。花の莟を内に秘めた恋心の比喩として

   歌ったものもあり(巻十九・4283)、ここでも恋の情緒がほのかにま

   つわります。

     「沫雪など降ってもかまわない。私は溢れ出る思いのままに咲いて

  見せるわ」寒さの中で凜と咲く梅の花からは、そんな声が聞こえてき

  そうです。

    梅は早春の花のイメージですが、万葉集では冬の景物としても多

  く歌われました。梅はまず白梅だけが中国から伝わり、紅梅の到来

  は百年ほど遅れます。万葉歌人が鑑賞したのはすべて白梅。それ

   ゆえ、雪の白さと合わせて歌われることが多かったのでしょう。

     寒さにかじかんでいないで、雪の白さに負けじと開花する梅の

   花。「小鹿」という通称にふさわしい、前向きな闊達さも感じさせま

   す。  

   そしてもう一首。

      ひさかたの月夜(つくよ)を清み梅の花心開(ひら)けて我(あ)が

      思(も)へる君                          巻八・1661 

     〈(ひさかたの)月夜があまりに清らかなので、梅の花のように、

    心開いてお慕いする君よ。〉 

      二句の「…を~み」は「…が~ので」と訳します。「~」は形容詞

    の語幹で、原因を表します。四句「開けて」の「開け」は下二段

   活用「開く」の連用形、閉じていたものが自然と広がるニュアンス

   があります。

     上三句は「心開けて」を導く序詞で、月下に咲く梅の花のように

   恋しい面影に向ける恋心を映像化しています。一首の内容は「わ

   が愛しの君よ」と言うだけなのですが、月と梅の花のイメージが添

   えられたことで、抒情的な恋の一首になりました。序詞こそ万葉歌

   人の腕の見せ所だった、と言ってもいいかも知れません。

     月下に溢れ咲く白い梅の花は小鹿その人の心でしょう。清らかな

  寒月の光を浴びながら、彼女はすっくと立ち、胸に秘めた相手に思

  いを馳せています。若々しいナルシシズムが清新な魅力となって、

   純真な恋心を伝える一首といえましょう。

  

  

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