第 26 回 (2021年11月) 寺尾 登志子 |
紀女郎(きののいらつめ)その三 紀女郎の「怨恨歌三首」を読んでいますが、今回は三首目を取り あげましょう。一首目で「自分は世間並みの女ではないから、普通の 女性のように恋に積極的になれない」と歌い、二首目では「今はもう 嘆くばかり。命とも思っていたあなたを遠くへやらなくてはならないの だから」と歌いました。そして三首目。 白栲(しろたへ)の袖別るべき日を近み心にむせひ音(ね)のみし 泣かゆ 巻四・645 「白栲」は白い布のことで、「白栲の」とくれば、「袖」や「衣(ころも)」 など衣服に関わる語にかかる枕詞です。「袖別るべき日」とは、共寝 に重ねた袖が別れ別れになる日のことで、「日を近み」は「日が近い ので」と訳します。 下の句の「むせひ」は「むせふ」、時代が下ると「むせぶ」となり、 「むせる」とも意味は通じ、食物や煙や気持のわだかまりで胸が塞 がる状態を言います。結句は声に出して泣くことを強調しています。 ―交わした袖の別れが近づいたので、悲しみで胸が詰まり、 ただもう声あげて泣くばかりですー こうして、三首を読んでゆくと、自分自身を内省的に見つめ、 別離の宿命を嘆き、刻々と近づく別れの日を控えて悲嘆にくれる、 という心理の変化、即ち時間の流れが汲み取れます。 一首ずつ歌いあげながら同時に、並べた時に生じる連作の効果を 活かす配慮は、近代の正岡子規や伊藤左千夫を待たずとも、万葉歌 人たちが既に試みているようです。 「怨恨歌三首」は連作であり、恋に身を焦がし燃え上がることもかな わず、別離の宿命をひたすら嘆き悲しむ女性の心が歌われています。 おそらくは、紀女郎がかつて夫の失脚の原因となった恋の相手である 「因幡の八上の采女(巻四・535)」に成り代わり、歌人の自負と妻の 誇りをかけて創作したのではないか、と思うのです |