第 22 回 (2021年7月) 寺尾 登志子 |
笠女郎(かさのいらつめ)その十二 ―大伴家持の返歌二首― 激しくドラマチックに恋心を訴え続けた笠女郎でしたが、ついに叶 わず、奈良の都を去ることとなりました。故郷へ帰った女郎は、諦め と未練の入り混じる二首を送ってきましたが、今回は家持からの返歌 二首を読んでみます。 今さらに 妹に逢はめやと 思へかも ここだ我(あ)が胸 いぶせくあるらむ 巻四・611 二句は反語で、妹に逢うだろうか、いや逢わないの意。三句は、 確定条件の「~だから」を表す已然形の「思へ」を「かも」で強めて おり、「思うからなのか!」。「ここだ」はこんなにも、「いぶせく」は家持 が好んだ形容詞で、心が鬱欝と晴れないことをいいます。 これから再びあなたに逢うことはない、そう思うから、こんなにも私の 胸がふさいでいるのでしょう。 「いぶせし」と言いつつも、「…あるらむ」の律がどこか弾んでいると 言ったら、笠女郎に肩入れしすぎでしょうか。家持は内心、ほっとして いるようにも思えてしまいます。 なかなかに 黙(もだ)もあらましを 何すとか 相見そめけむ 遂(と)げざらまくに 同・612 初句は、かえって、とか、なまじっか、の意。二句の「まし」は、 「~したらよかったのに」、結句の「まくに」は、推量の助動詞「む」に、 体言を作る接尾語の「く」が付いています。 かえって、黙っていればよかったのに。どうして逢い始めてしまった のだろう。はじめから遂げられないはずだったことなのに。 この歌、「なかなかに…遂げざらまくに」と、全体に後悔の念を滲ま せながら、ぼそぼそと言い訳の言葉を連ねています。どうやら初めに 接近したのは家持の方だったようで、次第に相手の情熱に圧倒され、 歌の力量も彼女に及ばなかったことを、忸怩たる思いで振り返ってい るようです。 二人の相聞は、天平六~八年頃、家持十七歳~十九歳の間で あったといわれます。歌の技量からして、女郎の方がだいぶ年上であ ったこと想像され、前回読んだ彼女の二首は、大人の対応を示すも のでもありました。家持もまた二首の歌を返すことで、相手に精一杯の 敬意を払ったと思えます。 この後の巻四には、何人もの女王や女郎が家持に歌を贈っていま すが、いずれにも返歌はありません。笠女郎への返歌二首には、 青春期の記念として、家持の格別な思いが込められていたのかも しれません。 |