第 20 回 (2021年5月) 寺尾 登志子 |
笠女郎(かさのいらつめ)その十 笠女郎は大伴家持にあらんかぎりの情熱で恋歌を贈り続けました が、ついに振り向かせることかなわず、燃えたぎる恋の炎は行方を失 って、自分自身へと向けられます。家持へ贈った二十四首の結びに あたる最後の三首は、私を忘れないで、と哀願し、夜更けに悶々と未 練の情を見つめ、最後に意表をつく比喩によって、恋の深みにはまっ た自分を自嘲する流れになっています。 我も思ふ人もな忘れ〔多奈和丹〕浦吹く風の止むときなかれ 巻四・606 この歌、三句が一応〔おほなわに〕などと訓まれる難解語で語義未詳 です。ここでは省いて読みますが、「な忘れ」、「止むときなかれ」と二 つの強い命令形によって、一首のおおよその意味は伝わります。 私も思い続けます。だから、思う人も私を忘れてはなりません。浦を吹 く風のように、それぞれ思いの止むことがあってはなりません。 恋の成就を諦めた最後の願いは、相手に恋の忘却を禁ずることでし た。以降、女郎の胸には、止むことなく浦風が吹き続け、悲恋の形見 となったことでしょう。今なら、ただ一言「忘れないで」とメールを送る シチュエーションでしょうか。 皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寝(い)ねかてぬかも 同・607 「皆人を」の「を」は主語を、「君をし」の「し」は強め、結句は「寝られな いなあ」と訳します。 皆の者、寝静まれとばかりに鐘を打つのが聞こえるけれど、貴方を思 う私は、とうてい眠ることなど出来やしませんわ。 平城京に鳴り響くのは、宮中の陰陽寮が一日に六回打つ鐘で、大体 亥の刻すなわち午後八時~十時頃とされています。飛鳥に天智天皇 が漏刻(水時計)を置いてから数十年、奈良の都の人々は鐘の音によ って時刻を知りながら生活していました。 鐘の音は都の人々の暮らしを統べる響きですが、別離と未練の淵で 苦しむ女郎にとっては、煩悩の闇を払い去る力となりました。彼女は ついに、叶わぬ恋に止めをさすのです。 相思はぬ人を思ふは大寺(おほてら)の餓鬼の後(しりへ)に 額(ぬか)づくごとし 同・608 私を思ってくれない人を思うことは、大寺の餓鬼像の後ろに額づいて 拝むようなものですね。 当時の寺には、貪欲の戒めとして餓鬼道に堕ちた亡者の彫像があっ たと思われます。有り難いみほとけでなく、餓鬼を拝むとはどういうこ とか。女郎は、相手を求め続けた自分を恋に飢えた餓鬼のようだと 蔑み、相手の家持をも餓鬼に見立てたのではないでしょうか。餓鬼と その後ろから拝む自分と二人、どちらも救いのない恋情の餓鬼道に 堕ち果てる様を歌ったのではないかと思うのです。 家持への痛烈なしっぺ返しの比喩ですが、どこかにユーモアも醸され ており、深い諦めと自嘲の念が漂います。恋の極限の結びとして、忘れ がたい名歌といえるでしょう。 こうして笠女郎が家持に贈った恋の一連は閉じられますが、この後、 女郎は奈良を離れ、物理的にも二人の関係は隔絶します。 次回はそこで交わされた二人の相聞歌を読みたいと思います。 |