第  19  回  
(2021年4月

寺尾 登志子


                         
                           笠女郎(かさのいらつめ)その九

        恋のつらさを一途に歌った女郎は、歌に宿る言霊(ことだま)の力

    を信じていたように思います。言霊は普段使われない言葉に宿るとさ

    れ、祝詞(のりと)や寿詞(よごと)、呪文や呪詛、そしてヤマト歌にも宿

    るとされた言葉の力です。

       相手に歌いかけ訴える言葉の力で、報われない現実はきっと変えら

    れる、そう信じて女郎は家持に歌を詠み続けたのではないでしょうか。

       剣大刀(つるぎたち)身に取り添ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)

    そも君に逢はむため             巻四 604 

       剣大刀は身につけるところから、「身に添ふ」の枕詞ですが、「取り」

   があることで、女郎が剣大刀を手に取って我が身に添えたイメージがあ

    ります。剣大刀は男性的な所持品ですから、夢判断のフロイトを持ち

    出さなくても、上の句は男と共寝をした夢を見た、と読めます。

       前に591の歌で、女性を象徴する「玉櫛笥」の開いた夢が詠まれて

   いました。「夢」に予知の力を感ずるように、歌にこもる「言霊」の力を頼

   むところとすれば、上の句の夢は現実となるはずです。

       四句の「そも」は強調と詠嘆を示し、「何の前兆か」と家持の動揺を誘

   いつつ、下の句でその男とはあなたなのですよ、と言っています。〈剣大

   刀を手に取り身に添える夢をみましたのよ。さて何の前触れでしょうかし

    ら。もちろん、あなたとの逢瀬のためでしょう。〉

       こんな一首をもらったら、どうする家持?と気になりますが、言霊は働

    かなかったのでしょうか。女郎は次に、「夢」よりさらに霊験あらたかな

    「神」を持ち出しました。

        天地(あめつち)の神の判(ことはり)なくはこそ我が思ふ君に逢

      はず死にせめ                     605 

        「判」は「判断、裁き」、三句は「なかったとしたら」と仮定を表します。

    三句の「こそ」を受けて、結句は「死にせむ(死ぬだろう)」の「む」が

   已然形になって「死にせめ」に。係り結びによる強めです。

      〈もし天地の神のお裁きというものが無かったら、私はあなたに逢わ

   ずに死にもしましょう。でも、神の正しいご判断があると信じればこそ、

    私はつらくても生きているのです。〉

       夢や神の裁きなど、超人的な力によって相手を求めるこれらの二

    首。三十一文字の連作による恋のストーリーも極まり尽くしたようです

    が、次回は、精魂尽くした恋の哀しい末路が待っています。


   

  

    

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