第 18 回 (2021年3月) 寺尾 登志子 |
笠女郎(かさのいらつめ)その八 激しい恋に身を灼く女性の心を多彩に詠んだ笠女郎の二十四首 もそろそろ終盤を迎えようとしています。今回は、女郎が古歌集である 「柿本人麻呂歌集」の作品を踏襲したと思える一首を読んでみます。 ・思ひにし死にするものにあらませば千度(ちたび)そ我は死に 返らまし 巻四 603 初句の「し」は強め、三句は「あるのだったら」と仮定する形です。 「せば~まし」の構文で現実ではないことを仮定して夢想しています。 〈恋の思いのせいで死ぬことがあるのだったら、私は千回でも繰り返 し死ぬでしょう〉 恋の為に千回も死んで生き返るとは、随分大げさですが、中国の 影響を受けています。当時、遣唐使が持ち帰った中国の通俗小説 『遊仙窟』が、貴族や官人たちに広く読まれており、そこから着想を 得た表現のようです。万葉集の中にも類想歌があります。 ・恋するに死(しに)するものにあらませば我が身は千ちび死に かへらまし 巻十一 2390 初句と三句以外は同じこの歌、「柿本人麻呂歌集」に収録されてい ました。この歌集は万葉集の資料として活用され、柿本人麻呂の作品 だけでなく人麻呂選歌も収録するもので、万葉集の内部にのみ存在 します。当時は作歌の手本として広く読まれていたように思います。 豊かな表現力を見につけるには、優れた作品を真似、学び、 一首に仕上げることが肝要でした。オリジナリティーとは近代の産物で、 古典にあっては、典拠のある表現が教養と格調を裏うちするとされてい たのです。 笠女郎も、人麻呂歌集をよく吸収し自分の歌の世界を広げていたの ではないでしょうか。もちろん、受け取る家持も、女郎の一首が人麻呂 歌集を元にしていることが分かり、古歌を介して相手の思いは更に増 幅して伝わるのでした。激しい恋に身を焦がしても、ただ思いの丈を ぶつけるだけでは、歌人の名折れだったのですね。 |