第  14  回  
(2020年11月

寺尾 登志子

 
                          笠女郎(かさのいらつめ)その四

       恋する女の激しさに大伴家持の方はだいぶ及び腰だったようで、笠女

   郎は煮え切らない男の気をひくような歌を次々送ってきます。

   ・あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ吾が背子我が名告(の)らすな

                                                       巻四・590

       「あらたまの」は「年」の枕詞、「今しは」は「今は」の強め、引用の助詞

   「と」が受けている上の句は、女郎が取り越し苦労のように想像する家持

   の心理を表しており、「ゆめよ」は絶対に~するな、と禁止に呼応していま

  す。

         (一年経ったから、今はもうしゃべっていいかな)と、愛しいあなたよ、

   恋人である私の名前を絶対に人に言ってはなりません。

        強い口調で恋仲を他言するなと訴えていますが、「我が背子」は相手

   にたっぷり甘えるニュアンスがあり、居丈高さと甘えの交じった微妙な味わ

   いです。

       相手に他言する気があるかないかはお構いなし。恋の秘密を共有す

  ることが一大事であり、人に知られた途端、その恋は邪魔され破局するも

  の、と身構えるのが当時の恋人たちの恋におけるモラルでありました。

  続いて、女郎は自分の見た夢の不安を訴えます。

  ・我が思ひを人に知るれや玉櫛笥(たまくしげ)開(ひら)き明(あ)けつと

    夢(いめ)にし見ゆる                                 同・591

        「知るれや」の「知る」は「知らせる」の意味で、下二段活用の已然形

  に疑問の「や」が付いています。この歌は二句切れで、私の思いを他人

  に知らせましたか、と切り口上な歌い出しです。

        「玉櫛笥」は、美しい装飾の手箱で、櫛や鏡、化粧道具などが入って

   おり、女性の心身を暗示する物、それが開いて中が見えることは、女の恋

   の露呈を意味します。

        私の思いを誰かにお知らせになったのかしら。化粧箱の蓋が開いた

   夢を見ましたの。…あんなに他の人には言わないで、とお願いしました

  のに。

       下の句には、夢判断で相手を責めるニュアンスがあり、どうにか家持

   を振り向かせたい、という一途な女心がうかがえますが、家持にすれば、

   夢にまで責任は持てないよ、という気持になりそうです。機転の利いた歌

   も返せなかったかもしれません。

  ・闇の夜に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ

    逢ふとはなしに                                 同・592

    上二句は「外のみに」の序詞です。夜に鳴く鶴は相手を求めて鳴くもの

  で、闇夜ともなればいっそうの切なさで身を絞る声となり、闇の中で悶え

  る恋心を連想させます。「聞きつつかあらむ」の「か」は、どうすることも出

  来ない自分の不甲斐なさを詠嘆する疑問で、「聞いているばかりだろうか」

  と嘆いています。

      ああ、もう闇夜に鳴いている鶴の声のように遠く離れて、あなたのお噂

  を聞くばかりです、直接の逢瀬もないというのに。

      現実には片思いに近い情況であっても、笠女郎の内部では恋の紅蓮

   が勢いよく燃えているようです。片恋は次第に悲恋の様相を帯びはじめ、

   次回は悲恋のアリアを歌いあげる情熱のプリ・マドンナ、笠女郎が登場

  します。


  
  
  

  

   
 
  
 

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