巻 頭 エ ッ セ イ
<22> 「 蝉 」
2019 年 8月千 家 統 子
「 蝉 」
千 家 統 子
今年は7月の中旬過ぎまで比較的涼しかったせいか、蝉の声を聴く
ことがなく何か物足りなさを感じていた。ところが、猛暑続きの日々と
なったとたん、都心の街路樹でも聞くようになり、ことに青山公園は耳
を聾するほどのせみしぐれであった。新国立美術館へ行く途中、樹の
幹がなんだかぶつぶつとしているので、近寄ってみると(私はかなり目
が悪 い)セミの抜け殻が30近くくっついていた。トランプ大統領が飛
び立ったヘリポートと公園の間の土手道の木々である。廻りには同じ
ように大きい木が何本もあるのに、その木にだけ集中して抜け殻が
付いているようだった。何を基準に木を選ぶのだろうか。それにしても
、何度通っても、増えることはあってもなくならない。今は子供にとられる
こともないらしい。、私の子供の頃は空き缶にセミの抜け殻を集めて
数を競う男の子がいたのだが。
隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来
鳴く晩蝉(ひぐらし) 万葉集一四七九 大伴家持
家持は、鬱々と家に籠っていた時に外に出てヒグラシの声に慰められ
たようだ。やはり慰めてくれる蝉の声はヒグラシしかないと思う。公園で
鳴いていた、ミーンミンミン、ジージー、シャンシャンシャンは暑さに辟易
している身には、何の慰めにもならなかった。心なしか風が涼しくなるこ
ろになると故郷の裏山で鳴いていたヒグラシが恋しい。