巻 頭 エ ッ セ イ

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 「 旅 人 雑 感  」

2019 年 4 月


千 家  統 子 


    
「 旅 人 雑 感 」
                                                        千 家  統 子 


   新元号の「令和」のおかげで、書店に万葉集やその鑑賞本があっと

いう間に並んだ。以前から欲しいと思っていた万葉集の関連本が、古本

でかなりの値段だったが、再販が決まり手に入れられるのは、元号効果

に違いないと思っている。

 元号の出典となった梅花の歌が詠まれた宴の参加者は、大宰府、筑

前、豊後,壱岐、大隅、対馬、薩摩の役人、薬師、陰陽師などで、都か

らの赴任者、在地の人など九州各地の人たちだ。大宰帥として大伴旅人

が赴任した時、筑前国の国司として山上憶良がいたことは、奇跡のよう

な巡り合わせであり、それだからこそ、九州各地の人々の歌の交流が生

まれたのだろう。

  出典となった序に「膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす」「衿を煙霞

の外に開き」とある。着物の衿をくつろがせ、気の合った歌の仲間と盃の

やり取りをし、歌を詠む姿が浮かぶ。酒壺になりたいとまで詠んだ旅人が

なにより楽しんだ宴の様子である。

  画家の小杉放菴の絵に「大宰帥大伴旅人卿讃酒像」というのがある。

唐渡りと思われる酒杯が乗った脚付きの丸いお膳の前に、片膝を立て

衿を寛がせて円座にすわる旅人が描かれている。ちらりと見えるベルト

の飾りもおしゃれである。この宴は「帥の老の宅に萃(あつま)りて」と

あり、宴の家の主としての泰然自若とした雰囲気が、この絵によくでて

いると思い、私にとっての旅人像は、かなりこの絵に影響されている。

  しかし、本来大伴氏は軍事にかかわる氏族で、旅人も征隼人持節

大将軍として隼人の鎮圧にあたったりもしている。もっと力強い豪傑風

だったかもしれないし、藤原氏が台頭しつつある時代に、大納言にまで

なった政治家としての面もなかなかのものであったのだろう。そう思うと

小杉放菴描くほろ酔いのトロンとした目で微笑む旅人も、清濁合わせて

酒とともに飲み干しながら、大伴一族を率いてしたたかに時代を生きた

男の晩年像として様々な想像を掻き立ててくれる。

  この宴の年の12月に旅人は都に帰り、翌年亡くなっている。少年家持は

この宴をそっと見ただろうか。彼がこの宴の記録を万葉集に残し、1289年

後私たちは「令和」という元号を持つことができた


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