巻 頭 エ ッ セ イ
<18> 「 旅 人 雑 感 」
2019 年 4 月千 家 統 子
「 旅 人 雑 感 」
千 家 統 子
新元号の「令和」のおかげで、書店に万葉集やその鑑賞本があっという間に並んだ。以前から欲しいと思っていた万葉集の関連本が、古本
でかなりの値段だったが、再販が決まり手に入れられるのは、元号効果
に違いないと思っている。
元号の出典となった梅花の歌が詠まれた宴の参加者は、大宰府、筑
前、豊後,壱岐、大隅、対馬、薩摩の役人、薬師、陰陽師などで、都か
らの赴任者、在地の人など九州各地の人たちだ。大宰帥として大伴旅人
が赴任した時、筑前国の国司として山上憶良がいたことは、奇跡のよう
な巡り合わせであり、それだからこそ、九州各地の人々の歌の交流が生
まれたのだろう。
出典となった序に「膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす」「衿を煙霞の外に開き」とある。着物の衿をくつろがせ、気の合った歌の仲間と盃の
やり取りをし、歌を詠む姿が浮かぶ。酒壺になりたいとまで詠んだ旅人が
なにより楽しんだ宴の様子である。
画家の小杉放菴の絵に「大宰帥大伴旅人卿讃酒像」というのがある。唐渡りと思われる酒杯が乗った脚付きの丸いお膳の前に、片膝を立て
衿を寛がせて円座にすわる旅人が描かれている。ちらりと見えるベルト
の飾りもおしゃれである。この宴は「帥の老の宅に萃(あつま)りて」と
あり、宴の家の主としての泰然自若とした雰囲気が、この絵によくでて
いると思い、私にとっての旅人像は、かなりこの絵に影響されている。
しかし、本来大伴氏は軍事にかかわる氏族で、旅人も征隼人持節大将軍として隼人の鎮圧にあたったりもしている。もっと力強い豪傑風
だったかもしれないし、藤原氏が台頭しつつある時代に、大納言にまで
なった政治家としての面もなかなかのものであったのだろう。そう思うと
小杉放菴描くほろ酔いのトロンとした目で微笑む旅人も、清濁合わせて
酒とともに飲み干しながら、大伴一族を率いてしたたかに時代を生きた
男の晩年像として様々な想像を掻き立ててくれる。
この宴の年の12月に旅人は都に帰り、翌年亡くなっている。少年家持は
この宴をそっと見ただろうか。彼がこの宴の記録を万葉集に残し、1289年
後私たちは「令和」という元号を持つことができた