巻 頭 エ ッ セ イ

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 「 眼   鏡  」

2019 年 2 月


里  見  佳  保 


    
「 眼     鏡 」
                                                      里 見  佳 保 

  高校3年生の頃から眼鏡をかけている。一時期コンタクトにしたこともあ

ったけれど,私には合わずやっぱり眼鏡に戻った。朝、まず手にとる道具

は眼鏡。夜、最後に手にとるのも眼鏡。

  眼鏡は一日中外さずに自分の体の一部になって、見るという大切な機

能を補う道具。当然,眼鏡を新調する時は毎回真剣に品物を選ぶ。

  眼鏡をかける以前のわたしはひそかに眼鏡に憧れていたので、初めて

眼鏡を作った時はうれしかった。今はデパートやショッピングモールの一

角にお店が入っていて随分開放的だけれど、昔の眼鏡屋さんはもっと特

別な感じがした。

  眼鏡屋の前を通ると店主がいつも何かを磨いている。眼鏡の時もあれ

ば時計や宝石、それらが並んで置かれているショーケースのガラスの時

もあった。どこもかしこもぴかぴかで店主は労働の大半を磨くという行為

に費やしているのではないかと思われた。内側から発光しているかのよ

うな、それでいてとても静かな空間にどきどきしながら入ったことを覚え

ている。

  店主のようにはできないけれど、自分でも眼鏡を磨く。私に世界を見せ

てくれる眼鏡にありがとうと思いながら。ゆっくりと手を動かしているとその

思いさえいつのまにかどこかに置いてきてしまう。ただ眼鏡に向き合う。

短い時間、からっぽのこころを楽しんで、また日常に戻っていく。

  磨くという行為は拭いて汚れを除く、ことよりも一歩踏み込んだ感じ。

人の手でものから光を生み出すことなのだなあと思う。

歌を作る時もそうだ。言葉を磨く。内側からほの光る世界を形づくるという

のは磨くという小さな行動の積み重ねなのだろう。地味であたりまえのこと

を繰り返し繰り返し続けることは大切なことだと思う。これまでもこれから

も。

   眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

                                               佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』


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