「 お茶とおやつ」 里 見 佳 保
いろんな人に読んでもらわなくても、よい歌だと言われなく
ても自分のために作る歌というものがある。それも大切な
歌の領域だとしみじみ思う。
いくつかの自作の歌を読みなおすと楽しかった時間を鮮
やかに思い出すことができる。歌は場面を描くことが得意な
詩形だから。何気なく作った歌の方が時間が経つとまぶし
く見えてくることもあるから不思議だ。
子育ての時間は長いようであっという間に過ぎてしまう
もの。子どもたちには何もしてあげられなかったけれど、
お茶とちょっとしたおやつを用意していっしょに話す時間を
持つようにしていた。用意するのは基本的に熱いお茶であ
る。冷たい飲み物はひといきに飲んでしまう。それに対して
熱い飲み物は味わう時にゆっくりと時間をかけなければな
らない。この時間がいいのだ。
やけどの心配もあるので、熱いお茶を楽しめるようにな
るのはちょっと大きくなってから。熱いカップは成長の証でも
あった。
日本茶の時も紅茶の時もココアの時もゆっくりと一口ずつ
飲みながら。話すことより聞くことを少し多めに。
おやつは買ってきたものの時もあれば、家で作ったものの
時もある。チョコやクッキーのこともあれば、焼き芋やきゅうり
の浅漬け、なんてこともあった。
ああ、そうだ。お茶とおやつは子どものためだけではなく、
私自身のために必要なものだったのだ。歌を読むとそれがわ
かる気がする。自分の子育ての歌があるということは写真の
アルバムのほかにもう一つことばのアルバムを持っているよう
なものだ。子どもたちも楽しかったのだろうか。いつかなつかし
く思い出してくれるとうれしいのだけれど。
風生れて麦も家族もそよぎたり季節みじかきものなびき合う
三枝昴之『太郎次郎の東歌』
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