鮎と森のものがたり 原 田 俊 一
川魚の代表的名魚に「鮎」がある。アユ科の硬骨魚で香魚
とも呼ばれる。春に海より川へ遡上し、6月頃成魚となる。
古来、宮廷でも重宝され、奈良朝には鮎漁を管理する「鵜
飼部」があり、吉野川等で鵜飼が営まれ、鮎が献上された。
島根県益田市高津沖の日本海に注ぐ高津川の鮎が日本
一美味しいと地元の人は自慢する。
高津川漁(協)のカタログによると
@高津川は一級河川ながらダムが無くまた上流に人家が少
なく、昔ながらの自然環境を維持している屈指の清流である。
A春になると海より遡上する天然稚鮎が成長したものである。
B良質の苔を食べ、香り豊かに成長する。
とある。良質な苔は如何にして生育するのか?それは森と
関係があることが分かってきた。
高津川の流域は古来ブナやナラの温帯林であり、その落葉
による腐食層はフルボ酸を生み、植物プランクトンや川苔の生
育に必要なフルボ酸鉄を生成する。高津川には流域の森から
フルボ酸鉄が流出し、鮎の餌の苔を生育する環境が長い年月
により生成され、現在でも持続されている。
鮎が豊富であった故か、高津川の鵜飼は独特な「放ち鵜漁」
であつた。鵜匠は鵜を吾が児のように育て、信頼関係を結び、
漁期に子飼いの鵜を川に放つと報恩の若鮎を鵜匠に貢いだ。
鵜匠の死を知らない鵜が、鵜匠の亡き後もせっせと鮎を漁場
に盛ったと言う民話が今に伝わる。
なお、万葉の歌聖「柿本人麻呂」も高津川の流域の戸田村に
生まれ育ったとの説がある。きっと鮎の塩焼きを頬張って食べ
たであろうと想像すると愉快である。
〇高津川の苔を求めて遡る尾鰭しなやか稚鮎の群舞
〇鵜匠亡き後も飼い鵜はけなげにも鮎を貢ぎし哀話伝える
以上
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