巻 頭 エ ッ セ イ

<44>「奏でる短歌(2)」

「凍るピアノ」考

2022 年 5月


和 嶋  勝 利 



     奏でる短歌(2) 「凍るピアノ」考  和 嶋 勝 利

        プーチン大統領によるウクライナ東部で軍事作戦を開始す

      るという発表から、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。

      2022年2月24日のことであった。

       これを受けて「りとむ」2022年の5月号でもウクライナ侵

  攻を題材にした作品が散見された。次の作品もそのなか

  の一首だ。

       凍るピアノ 西へ東へ流離えど共に叩きしキエフ大門

                                         沖 荒生「りとむ」2022年5月号

   掲出歌については、まず、掲出歌のある「非戦詠」がウク

  ライナ侵攻を批判することを主題とした一連であったことか

  ら、掲出歌もその流れを引き継いだ作品であることは容易

  に理解できた。

   次に、「キエフ大門」についてネットで検索した。実際に

  ある建造物のようだが、ここでは、ムソルグスキー作曲に

  よる「展覧会の絵」の終曲であろうと推察した(ネット上で

  は、ウクライナ侵攻に際し、「展覧会の絵」の「キエフ大門」

  を思い返したという書き込みが多く見受けられた。)。

  また、同曲にはさまざまな編曲があるが、

  初句に「凍るピアノ」とあることから、掲出歌の「キエフ

  大門」は、ピアノ組曲として解釈した

  (この時ぼくは、「エマーソン、レイク&パーマー」を思

  い出した。)。

   「キエフ大門」が何であるか分かったところで、「ウク

  ライナという国家が西側や東側のイデオロギーをさすら

  おうとも、(ロシア・ウクライナの奏者が)ともに奏でた

  『キエフ大門』よ」という掲出歌の通釈の骨格も見えてきた。

      問題は「凍るピアノ」である。何かの寓意であることは間

   違いない。ぼくはここで、戦禍に巻き込まれウクライナ市民

   が避難するなか、自宅に残したピアノについて、「人が弾か

   なくなったピアノなど凍ったピアノも同然だ。」と訴えている

   姿を想像してみた。

     われながら悪くない把握であると思ったが、念のため

   「凍るピアノ」で画像検索をした。すると、実際にピアノが

   凍って、鍵盤からつららが下がっている写真が出てくるで

   はないか。

     ウクライナは、その地理座標から、冬は極寒の地となる。

   ロシアの破壊活動により、屋根や壁が吹き飛ばされた家の

   ピアノが、2月の気候に晒されて凍ってしまうこともあるだろう。

   そうすると「凍るピアノ」は案外に実景かもしれないと心が揺

   れた。

     ところで掲出歌については、作者自身が当HPの「会員の

  広場〈40〉」でコメントを載せている。

     コメントのとおり「凍るピアノ」が恂{作品へのオマージュと

  解釈すれば、なるほど腑に落ちる表現である。

    革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

  恂{邦雄『水葬物語』湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐ

  れおちならすレクイエム『水葬物語』には、恂{邦雄の原体験

  による「戦争」に対する批判が込められている。いや、

  戦争批判は恂{邦雄の生涯にわたる主題であった。

    そうなるとぼくの読みは少々理屈っぽいかなぁ。悪くない読み

 であると思うのだが。



 

 

   
 

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