奏でる短歌――ソ、レ、ラ、ミが導くもの 和 嶋 勝 利
ソ、レ、ラ、ミと弦を弾(はじ)いてああいずれ死ぬのであれば
ちゃんと生きたい
笹川諒『水の聖歌隊』
バイオリンやマンドリンのチューニングは、4弦から〈ソ、レ、
ラ、ミ〉である。また、ギターのチューニングは、一弦(細い
弦) からだと、 〈ミ・シ・ソ・レ・ラ・ミ〉となっている。
「弦」とあるから、掲出歌について、最初、これらチューニング
の場面を思った。
チューニングした後に、作者がピッチカートを行った(あるい
は、マンドリンないしギターをかき鳴らした。)。
この時、正確なチューニングの音色と下の句の「ちゃんと生き
たい」という感慨が、そこはかとなく呼応した。掲出歌は、
そんな作品ではないか。
また、次のようにも思った。
楽譜に「♯(シャープ)」を書き込む際は、「ファ・ド・ソ・レ
・ラ・ミ・シ」の順番で書き込むが、作品の「ソ、レ、ラ、ミ」
が、仮にこの調号のことでれば、その次は「シ」である。
すると、作品の「ソ、レ、ラ、ミ」は「死」を導くための修辞
となる。
内山晶太は本歌集の解説のなかで、掲出歌を、「ソ、レ、ラ、
ミと音を奏でつつ、その音階には必ず『シ』がまぎれている。
いつか『シ』の音を奏でることの不可避と、『死』ぬことの不
可避が一首のなかでそれとなく隣り合っている」と鑑賞して
いる。内山は、本歌集について、「むやみやたらに解剖しては
いけない」と 述べているが、そう述べつつも、掲出歌から
「死」を読み取ってしまうことに驚く。それに対しぼくの
鑑賞は、 解剖が過ぎたきらいがある。
いずれにせよ、唐突にみせて、その根拠を隠しつつ示すところ
など、作者はなかなかの技巧派であることは確かだ。
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