巻 頭 エ ッ セ イ

<40>「奏でる短歌」

ー ソ、レ、ラ、ミ が導くもの −
2021 年 11月


和 嶋  勝 利 

 

        奏でる短歌――ソ、レ、ラ、ミが導くもの  和 嶋 勝 利

    ソ、レ、ラ、ミと弦を弾(はじ)いてああいずれ死ぬのであれば

   ちゃんと生きたい
                                                         笹川諒『水の聖歌隊』

    バイオリンやマンドリンのチューニングは、4弦から〈ソ、レ、

   ラ、ミ〉である。また、ギターのチューニングは、一弦(細い

   弦) からだと、  〈ミ・シ・ソ・レ・ラ・ミ〉となっている。

   「弦」とあるから、掲出歌について、最初、これらチューニング

   の場面を思った。

     チューニングした後に、作者がピッチカートを行った(あるい

   は、マンドリンないしギターをかき鳴らした。)。

   この時、正確なチューニングの音色と下の句の「ちゃんと生き

   たい」という感慨が、そこはかとなく呼応した。掲出歌は、

   そんな作品ではないか。

    また、次のようにも思った。

    楽譜に「♯(シャープ)」を書き込む際は、「ファ・ド・ソ・レ

   ・ラ・ミ・シ」の順番で書き込むが、作品の「ソ、レ、ラ、ミ」

  が、仮にこの調号のことでれば、その次は「シ」である。

   すると、作品の「ソ、レ、ラ、ミ」は「死」を導くための修辞

   となる。

     内山晶太は本歌集の解説のなかで、掲出歌を、「ソ、レ、ラ、

  ミと音を奏でつつ、その音階には必ず『シ』がまぎれている。

  いつか『シ』の音を奏でることの不可避と、『死』ぬことの不

  可避が一首のなかでそれとなく隣り合っている」と鑑賞して

  いる。内山は、本歌集について、「むやみやたらに解剖しては

   いけない」と 述べているが、そう述べつつも、掲出歌から

   「死」を読み取ってしまうことに驚く。それに対しぼくの

   鑑賞は、 解剖が過ぎたきらいがある。

     いずれにせよ、唐突にみせて、その根拠を隠しつつ示すところ

   など、作者はなかなかの技巧派であることは確かだ。
 

   
 

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