■ 時 評
言葉と刺し違える覚悟を
天野 陽子
能登半島地震発生から二週間が過ぎた一月十七日。日を追うごと
に被害の深刻さが浮き彫りになり、長期化する避難生活に懸命な救助
や支援が続く。そこに降り積む雪。私は雪をこれほど無情に感じたこ
とはない。この日は二十九年前、阪神淡路大震災が発生した日でもある。
神戸市での追悼のつどいには「ともに」と書かれた灯籠が並んだ。被災
した世代もその後の世代もという思いと、石川県の被災者へのエールで
もある。このたった三文字にどれだけ人は支えられるか。距離も時代も
越えて遥か遠くまで届き、残るのが言葉なのだと願う。またこの日に
は、第百七十回芥川賞、直木賞の受賞が発表されていた。
今期の芥川賞には、川野芽生の中篇『Blue』がノミネートされた。川野
は「Lilith」で第二十九回歌壇賞を、同名歌集で第六十五回現代歌人協
会賞を受賞した歌人でもある。物語を牽引するのは、自らの性に悩み、
進学した高校では女性として暮らす主人公と、演劇部の部員たち。いわば
トランスジェンダーの物語であるが、そういう典型に抗う物語でもある。
何気ない会話や劇の解釈を巡って彼らは様々な思考、価値観を交わし合う。
社会規範のなかに居ながら、複雑で多様な当事者の声の、これまで言葉に
されてこなかった部分を精緻に現わそうとしている。その呼び水となるのが、
翻案劇『姫と人魚姫』である。
陸が好きという気持ちだけで陸に上がれたらいいよね ここでは生きてい
けない息ができないから出ていくしかないのではなくてさ 陸に上がっても
なお足の裏を針で刺されるような痛みを感じ続けるのではなくてさ(『Blue』)
主人公は、海でも陸でも生きにくい人魚姫をメタファーに自問自答する。
『 人魚姫』の世界の法則がその苦悩に適用されると、霧が晴れるように本来
の姿が眼前とし、そのメッセージが痛切なほど、社会規範や制度との違和が
あ からさまになる。これはジェンダーの問題に留まらず、自分を名付けられ
るのは自分だけという普遍をも内包し、少なくとも私は自らを痛いほど省み
ることになった。
川野は「わたしは幻想を愛する作家であるとともに、フェミニストでクィア
なのだが、それらはわたしの中で矛盾しない」。(『女性とジェンダーと短歌』)
と自認し、「またクィアとは、〈現実〉の中に数えられていない人々のことであ
る。(中略)つまりわたしたちは幻獣なのだ」。ともいう。幻獣を描き出すこと
が幻想の役割。『Blue』にもこの矜持が通底する。
夜の星空を見ていても、それが天体の全体ではない。それだけ「見えていない」
ものの存在は膨大だ。その空席を用意し座るものを把握し、もろともに描き出す
ことが言葉の役割であり、〈現実〉を描くことだと私は考える。
雪晴に復路のリフト無人ながら往路と釣り合ふ重さ持ちをり 『Lilith』
名を呼ばれ城門に向きなほるとき馬なる下半身があらがふ
一首目、何ものかの不在の在を、リフトが釣り合うことを疑う目が発見する。
二首目は、半分馬だったかつての記憶が去来したのか。「馬なる」
ことが前提である身体感覚が原初的だ。どちらも〈空席〉とそこにある
存在が澄み切った審美眼で現出され、感嘆する。
「言葉の内包する構造にそのまま操られることなく、言葉と刺し違える
覚悟を持つこと」と『Lilith』のあとがきに語る少女騎士の闘いに、
私も奮い立たされるひとりなのだ。
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