てんきりん <46> 『 碧 巖 』 2024年 02 月 |
夢にふる雪たけだけしちちははの墓処 さだかに見え分かも 坪野哲久 哲久の生地は能登の羽昨郡高浜、浄土真宗の信仰厚い両 親の元で育った。冬が長く、自然の圧力が強い環境も彼の 強靭な倫理性の基礎となている。晩年の島木赤彦を師と 仰ぎ、昭和初期のプロレタリア短歌運動を牽引した選択に もあの風土の精神性が作用している。掲出歌は『碧巖』か ら。墓も見えない雪の激しさは故郷と父母への敬慕の熱さ でもある。「かなしみのきわまるときしさまざまに物象顕 ちて寒の虹ある」とも。想いの深さと韻律の太さ。今年元 日に大地震が襲った能登の困難が思われる。(三枝昂之) |