てんきりん

<14>   『萩之家歌集』 落合直文


2018 年  11月


今 野  寿 美  



  礼(ゐや)なしてゆきすぎし人を誰なりと思へど遂に

  思ひいでずなりぬ      落合直文『萩之家歌集』

 
「ゐや(いや)」と読む「礼」は、お辞儀や挨拶の意をもつ名詞である。

  現代ではすっかり消えたことばといえそうだが、短歌ではおなじみ(では

  なかろうか)。お辞儀をするとか挨拶して過ぎるなどの言い換えとして、

  たしかに「礼す」、「礼して過ぎぬ」などとすれば、すっきり落ち着いた

  ことばの運びとなる。音感からしてもきれい。そんなことから小著『歌こ

  とば100』ではためらうことなく採り上げ、直文の一首を例歌としてま

  ず置いた。

  直文の歌は、国文学者らしく端正ななりたちで、かつ述べているところ

  はけっこう身近な親しさを思わせる。まだ和歌のなごりが濃厚な時代だっ

  たにもかかわらず、きどりのない軽妙な味わいにも通じていて、なかなか

  に新鮮だ。近代短歌の黎明期を確実に担った歌の姿である。

   掲出歌はすでに病床の人となってからの作、40歳前後のころであろう

  か。超高齢化時代といわれる昨今、老いの兆候として物忘れや人の名前が

  出てこない、という事態には誰もがぴりぴりしている。話を進めているさ

  なかに言うべき名前が出てこなかったりすれば深刻に悩みもしよう。固有

  名詞が素直に出てこないこと、案外年齢に関係なくありますよ、と言われ

  たところで、あまり慰めにもならない気がしてしまう。そんなとき、あの

  落合直文でも40歳くらいでこんな体験を一首にしているという事実は、

  よほど心づよく胸に落ちそうだ。若くして果てても偉大な業績を残した直

  文の戸惑いの表情には誰もが和むにちがいない。こんなことを、『みだれ

  髪』が喝采を浴 びた時代に、国文学者の直文が、こんなふうに歌に詠んで

  いたと知るだけでもほほえましくなる。
 
    明治39年6月刊行の『萩之家歌集』は、前年12月に満42歳で長逝

  した直文の歌1061首を門弟の与謝野鉄幹らが編纂した遺歌集である。

  伊達藩の家老・鮎貝盛房の次子として生まれた直文は、少年期に仙台の国

  学者直亮の養子となり、養父の学績を継いで数々の業績を残した。和歌改

  良をめざしてあさ香社を結成し、和歌革新運動への道筋をつけた歌人とし

  て語られることが多いが、直文の『ことばの泉』は、のちに芳賀矢一の改

  修を経て大部な国語辞典『言泉』となるなど、辞典づくりの先鞭をつけた

  人としての功績を忘れるわけにはゆかない。
 
    昭和4年に発行された版の『言泉』全6巻が、数年前からわたしの部屋

  の書棚にある。『歌ことば100』を書き進めていたとき、この6巻がど

  れほど興味をそそり、開いて役立ち、おもしろかったか、天よりの賜り物

  のようにしてわたしの手元にきただけに、今もわたしはしばしば感じ入っ

  てしまう。
   
    本年9月30日に気仙沼で開催された落合直文全国短歌大会に行った。応

  募作品の選考・選評がメインだが、「歌ことばと落合直文」という題で小

  さな話を添えた。直文の敷いた軌道を少しずつ少しずつたどるとき、わた

  しはもうそれだけでなにか満たされる気がしている。
 
    この短歌大会は直文の業績を顕彰する意味で毎年直文の生地気仙沼で行

  われる。港に近い丘の上に直文の生家煙雲館(えんうんかん)がいまも江

  戸時代末の日本家屋の風格を維持していて、子孫の鮎貝家のご一家がお住

  まいだ。
 
    気仙沼には2006年に三枝が参上するのに同行して行ったのが初めて

  だった。そのとき記憶に収めた港の光景が、3・11のテレビ画面に地獄

  図と化して映ったときの衝撃はいま思い出しても生々しく胸が痛む。震災

  後、とにかく見に来てほしいという被災地の声に、三枝が一番行きたがっ

  たのは 気仙沼だった。2014年に再び訪ねている。短歌大会に招いてい

  ただいてのことだが、そのときは彼が一人で出かけた。築160年にもな

  る煙雲館の屋台骨は、震度7にもじゅうぶん耐えたらしい。ただ、高台の

  煙雲館から、以前は見えなかった海が見えるようになっていたという報告

  は、煙雲館の近くまで津波がすべてさらっていったという意味だった。
 
    今回、再び二人で訪ねた煙雲館から、海はまだ見えていたが、いずれ見

  えなくなるというお話であった。防潮堤が遮るからというその事情には、

  複雑な思いを打ち消せない。
 
    今年の短歌大会は32回目。短歌大会には鮎貝家、落合家はもちろん、

  お血筋の方々が揃って列席される。直文の曾孫世代のみなさんが中心だ。

  そのお一人飯田良弘氏の夫人美恵子さんは、いま「りとむ」の会員で、熱

  心に短歌の実作に励んでいる。美恵子夫人に感化されて良弘氏も歌に手を

  染めてくださりそうな気配。そのことも嬉しかった。
 
  
 地元のみなさんも直文の顕彰のために尽力を惜しまない。とびきり若い

  廣野ゆかりさんは、やはり現在「りとむ」の歌人である。今回、気仙沼で

  廣野さんのお母さまとお祖母さまにもお会いしたが、三世代の歌人一家な

  のだった。その廣野ゆかりさんが、札幌の樋口智子さんに実によく似てい

  る。そしてまた、今年初めてご挨拶した落合家のご当主落合周太郎氏が、

  写真や絵で知るのみの直文にお顔立ちも立ち姿も見事に重なって思われ

  た。そんなこんなで、わたしにとっては数々感動し、胸に刻んだ気仙沼で

  あった。



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