【 トップページへ 】 【 バックナンバーへ 】
てんきりん
<30> 梶原 さい子
2021 年 5 月三 枝 昻 之
砂を掘る この浜辺には手掛かりの
もうなきことを証(あか)さむために 梶原 さい子
梶原の実家は気仙沼唐桑の神社、高台にあるが「そこ
まで津波は来た」とエッセイに書いている。二〇一八
年に気仙沼を訪れた私に落合直文顕彰会副会長の佐藤
宗雄氏は行方不明者の発表が毎年あり、今年は二一五
人と告げた。気仙沼に限らずあの震災以降、行方不明
者を探すことが人々の暮らしの一部になった。梶原も
砂を掘る。探すために、そして手掛かりのないことを
確かめるために。それでも掘る。「もうなきこと」、
もっとも切ない砂掘りだろう。震災後出なかった最初
の一声を出せたのは定型の力、とも言う。
昨年刊行『ナラティブ』から。
2021/3/10(三枝昻之)