第6回
(2006年1月

三枝昂之


 
DVD

 
神奈川新聞に服部宏記者の映画批評が載ると私は必ず読む。どの全国紙の映画批評よりも服部記者のそれがいい。そう私は感じている。その服部記者お薦めの映画の一つが「父と暮らせば」。もう一つは暮れの横浜映画祭で五冠に輝いた「パッチギ」。女優では宮沢りえと薬師丸ひろ子だったと記憶する。
 それで今野となんとか「父と暮らせば」を観に行こうとしたが、当時上映されていた岩波ホールには行くことができなかった。昨年の新百合映画祭で上映されることになり、地元だし今度こそと思いながら、それも果たせずじまい。そんなに時間に不自由をしてどうすると反省しながら新百合ヶ丘に出かける度にレンタルビデオのツタヤを覗いて、三回目にやっとDVDを借りることに成功。晴れて二人のホームシアターとなったわけだ。
 演劇の舞台をそのまま映画にしたような画面も新鮮で、大がかりなハリウッド映画が幼稚に感じてしまう出来、率直に感動した。二人とも早速短歌にしたが、おもしろいのは一首に切り取る観点の違い。今野は〈死なざりしことのかたじけなさを言ふをとめをドームを映して終はる〉、私はそのまますぎると反応された例の〈「おとったん、ありがとありました」この夏のDVDが残した心〉。どちらも物語のラストに立ち止まっているが、今野は最後の映像に、私は台詞に反応。違いは違いとしてそれでいいわけだが、もう一つおもしろいのは、りとむ歌会やHPでの反応の後にも、お互いに自分の作品の方がいいと思っていること。歌人は業が深いですね。
 シンプルに表現すればそれで読者に十分届くと私は判断したわけだが、もう一つ言っておけば、DVDという新語がまだ十分に広まらないうちに使っておきたいという、まあよこしまな心からでもあった。私は若い人相手の短歌講座では新語使用という条件でよく歌を作ってもらう。同じようなものでも言葉が違えばフィーリングが違う。例えば「ビデオを借りてくる」と「DVDを借りてくる」はかなり違う。その感触を大切にしたいのである。こんなに次から次へとものが移ろい時代には、言葉の使い手として、古語使用と同じくらい新語使用にも意識的でありたいもの。


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