ボルゲリロッソ

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2014年9


寺尾登志子


 今野寿美の最新歌集『さくらのゆゑ』が刊行された。いわゆる「あとがき」は無く、巻末に「『さくらのゆゑ』は十番目の歌集です。三百四十二首を収めました。」とわずか二行を添えるのみ。言いたいことはすべて短歌が言っておりますーそんな潔い印象を受けるのが、第十歌集という区切り感に相応しい。

 目にいつぱい心にいつぱいあふるれば桜に行
 つてきますのいろいろ 今野寿美


 巻頭歌を一読、街中を埋め尽くす満開の桜の量感と、個人的な春の記憶が立ち上がる。五年前の四月の半ば、熱海にお住まいの長谷えみ子さんとお昼をご一緒したことがある。長谷さんは私にとって大先輩の歌人だが、戦後短歌史の中心的な動向を身近に見てこられた方である。御夫君、村上一郎氏の思い出とともに、山中智恵子、馬場あき子、葛原妙子のエピソードが問わず語りに飛び出して、何とも刺激的で贅沢なひとときだった。

 そして話は若き日の今野寿美にもおよび、第一歌集『花絆』の一首「渡らざる橋のかなたはあかるくて今宵放恣にさくらばな散る」をそっと口にされ、「良い歌だなあ、と思って。作者は思いの深い方だとも感じました。」と静かに微笑んだ。美しい笑顔を見ながら私は、ああ、短歌っていいものだ、とつくづく感じ入った。

 その日は恰好の花日和で、熱海の街中を満開の桜が埋め尽くしていた。朝、まだ寝ている息子に「行ってくるね」と声を掛けると、「むう」とか言ってまだ夢心地のようだったけれど、私は彼より先に家を出て行くのが嬉しかった。

 息子はその日、長年付き合った彼女のアパートへ、段ボール幾つかの本とともに引っ越すことになっていた。夏にはイギリスの大学へ三年間の留学が決まっており、彼女の元から出発することを選んだのだ。

 三年間で博論を書き上げ、遠距離恋愛が成就すれば、もう親元には戻らないだろう。これからは夫と二人だけの暮らしが始まる。そんな区切りの朝だったから、手を振って息子を見送るより、自分が先に家を出て行きたかった。

 息子ばかりが「橋のかなた」へと渡るのではない。見送る親たちにも、手を携えて渡らねばならない「橋」がある。あの日の桜は、長谷さんが口ずさんだ『花絆』の一首とともに、忘れがたい思い出となった。

 そして、『さくらのゆゑ』の桜である。桜の花が街中に、自分の心にもいっぱい、いっぱい溢れている。ランドセルの新入生の「行ってきまーす」の声も聞こえてきそう。何て幸せな桜の歌だろう。

 短歌を書く立場からいえば、辛いことや悲しい体験は短歌の韻律に乗せやすいけれど、嬉しい、楽しい思いを歌うのは案外難しいのではないか。作者の技量はスタート当時から難なくそれをなしとげていたが、ここに来てより自在に余裕さえ加わった。リアルタイムの話題も豊富で、短歌を読む喜びと楽しさを与えてくれる一冊である。

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